2019年1月31日木曜日

作品展のお報せ/砂のあしあと







冬の海はさびしくて、
あしあともまばら。

誰もいない砂浜で
手を少しかじかませて飲む珈琲が好き。

聴こえてくるのは風の巻く音?

それとも子供の頃の思い出が
小さくささやく声かもしれない。








2019年1月28日月曜日

気分とカレー





メニュー全般、

器や盛り付けに
特に決まりはない。

トッピングも変えるし、
たまにレシピを変えるものもある。

いつもは薄力でつくるスコーンも、
今回は強力粉でだ。

さすがに量の多寡や内容の不公平は避けるが、
そこから先はあくまで気分である。

気分…

なんとも あやふやなものではあるが、

哲学者マルティン・ハイデガーによれば
「気分」とは何よりも先に僕たちのうちに起こる
人間の実存の基礎であるとか。

もちろん、かの哲学の巨人と僕などでは
「気分」の深みがまるで違うであろうし、

そもそも、難しくってよく分からない。

要は気分任せのほうが、より人間らしいってことなのかと
トンチンカンに受け取って、

今日もその場の気分で盛り付けよう。









さて、カレーライス、

只今の付け合わせはゆで卵と燻製鶏ですが、
気分でマッシュポテトや
自家製の福神漬けなどに代わるやもしれません。


そんなカレーライスをこの度、
100円ばかりお値下げしました。
これは気分…ではなくて、
出来るだけお求めやすくお届けしたいと、
頑張っての勉強です!

(それなりに原価と手間暇かかっているんですよ…)

もしかしたらまた元のお値段に戻すかもしれませんし、
それは気分によるものかもしれません。



欧風のカレーになりますが、
椎茸&昆布&和牛の滋味あふれるストックと、
手作りギーがとっても優しい。

そしてもちろんスパイシー。
ヒマダコーヒーの自信作です。

是非、この機会に召し上がってみて下さい。




2019年1月27日日曜日

ブランケットをどうぞ






お膝元が涼しければ
ブランケットをご利用ください。



お尻も意外と冷えるもの。
座布団として使って頂いても結構です。



2019年1月26日土曜日

長居と居眠り



ヒマダコーヒーでは、

長居しちゃってすみません。
居眠りしちゃって失礼しました。

…なんてお客さまに謝られることがありますが、
心配はご無用です。謝罪には及びません。

どんなお褒めの言葉よりも、
うつらうつらと舟を漕ぐそのかしぎの一つが、
ただ黙々と、物思いに耽るその佇まいが、
店主にはありがたかったりするのですから。

そういったお姿を見て、
あぁ、居心地のよい時間と空間を提供できているのだなと、
安心し、嬉しく思うのです。

(もちろん、褒められるのも感激ですが)





コーヒー1杯で1日居れるのがカフェだと、
ヒマダ店主は考えております。

もしお1人で何時間も過ごされる方がいらっしゃいましたら
時間の使い方の達人として表彰状と感謝状を贈りたいくらいです。

ですのでどうぞ長居をして下さい。
うつらうつら、うたた寝をしていって下さい。

カフェはハコだけでは成り立ちません。

そういう静かで長閑な風景をお客さまに添えて頂くことによって、
喫茶の風景は出来上がるのだと、
ヒマダ店主はそういうふうにも思っております。

まどろむ貴方の姿が、いい絵といい時間を作ってくれるのです。





2019年1月18日金曜日

門を叩きなさい



中学、高校とキリスト教教育の学校に通っていた。

なんら感化されることはなかったが、
多少でもキリスト教を学んでおいて良かったなと今にしては思う。


例えば 毎朝の礼拝の壇上などで、
よく引用されていた聖書の一文がある。

求めなさい、そうすれば与えられる。
探しなさい、そうすれば見つかる。
門を叩きなさい、そうすれば開かれる。

というキリストの言葉だ。

当時は、「おいおい、求めたって得られるとは限らないじゃないか」
「探しものが見つかるとは限らないし、叩いたって門が開くとは限らないぞ!」
などと捻くれたことを考えていたが、

この歳になると改めて思うこともある。


確かに、求めなければ得られないものもあるし、
探さなくては見つからないものもある。

叩かなくては開かない門もある、と。

とは言え
キリスト教文化圏にはノックの回数にも作法というものがあるらしい。

トイレなら2回、
礼儀が必要な場では4回、など。

不躾に叩けば良いというものでもない。
どうせなら行儀よく門を叩きたいものだ。

その方が開ける側も、
気持ちよくひらいてくれるというものであろう。

無論、お利口さんなばかりでは欲しいものも手には入らぬことだってある。
大木槌で門を突き破るような叩き方も時には必要かも知れない。


キリストはイチジクが食べたかったのに、
路上のイチジクの木に実がなっていなかったことに腹を立て
その木に呪いをかけたという。

そのうえで「誰でも求めるものは与えられるもんなんだ」とうそぶいたそうな。

とんでもない言い草である。

この逸話はイチジクの木に喩えて遠回しに国家を批判したとの説もあるが
もしかしたら ただ「ワガママでも良いんだよ」と
身をもって示してくれただけかも知れない。

だとしたらちょっとは頷ける。



喫茶店には様々な人が行き来する。

そんなお客様がたとの静かな語らいも店主の楽しみの1つ。

皆がそれぞれ、それぞれの望みを望み、
それぞれ何かを探したり見つけたりしながら、
めいめいのやり方で門をコツコツ叩いている。

探し方を情報交換したり、
見つけたものを報告しあったり、
門の叩き方を一緒に研究したり。

そんな交感のひと時がたまらなく面白い。

会話がなくても無言のうちに通じ合うものもある。

こんなやり取りを望んでいたからこそ
今こうして実現出来ているのかもな と思うと本当にありがたい。

キリストさんには「おっしゃる通りです」と
ヘブライ語で挨拶をしておくべきだろう。

つまりは、アーメン!である。















2019年1月16日水曜日

答えはインドに行け





僕が最も薫陶を受けたのは、
かつて僕がスタッフとして働いていた
逗子の喫茶店COYAのオーナーのお二人です。

ご主人の潤さんと、
奥さんはフードコーディネーターでもある根本きこちゃん。

日々きこちゃんが作ってくれる
お昼の賄いご飯からしてが もう信じられないくらいの絶品です。

ある日の賄いはカレーでした。
山椒の利いた、かなりヒリつく、
何ら おもねるところもないような、遠慮会釈ない本格派です。

辛いッ!!

でも美味しすぎる!!

「どうやったらこんなに美味しいカレーを作れるの?」と
尋ねる僕に、彼女は少し悪戯な笑みを浮かべてこう言いました。

「インドに行けば分かる」と。



その後、インドに行く機会を得た僕ですが、
なるほど確かに。行く前と後とでは、明らかにスパイス料理の出来が違います。

作るカレーが格段に美味しくなるのです。

習うより慣れよ。
百聞は一見に如かず。

レシピや技法を憶えるのもいいですが、
現地で実際に食べ歩いてみて身につくものもあるのですね。

























さて、1月16日(水)はヒマダコーヒーにて
BASIC YOGA CLASS を開催させていただきました。

ご参加いただいた皆さん。ありがとうございます。
お疲れさまでした。

今回のクラスでお出しさせていただいた、
ベジタリアン・ターリーの内容を紹介させていただきます。

ヨガ後の清涼な心身ですから、
重くなく、刺激も比較的少なめの、優しい定食となっております。





・バスマティ米
・ムング豆のカレー
・バナナの米粉ロティ(パンケーキ)&特性マンゴーソース
・さつま芋&カカオのサブジ
・人参ライタ ‐ 豆乳ソースで
・インドきんぴら
・挽き割り全粒小麦の付け合わせ
・マサラ大根(香の物)
・チャイ





あれから数年…

インドで得たスパイス感覚も、少し薄れてきているのを感じます。

また最近は立ち上がりの早い即効性のインド/ネパールカレーより、
じわじわ旨い遅効性の欧風カレーのほうが面白かったり…

とは言えやはりインド料理も大好きです。
勉強のため…とかなんとかかこつけて、また行きたいものです。





ヒマダコーヒーではケータリングや特別なお料理、
また店内での展示やワークショップ、お話し会などお受け致します。
お気軽にご相談ください。


2019年1月11日金曜日

王様と私










たまたまインターネット上で見つけて、
連載初期よりずっと愛読しているウェブ漫画があります。

その面白さに呼応するように、
じわじわと人気が広がり
来月にはなんと大手出版社より
単行本の発売が決まっているということです。

きっと世に広く受け入れられることでしょう。

これからの人気高騰に先駆けるように、
コーヒーの移動販売業者さんとのコラボ企画も興っていると聞き及び、
1ファンとして、ちょっと羨ましくも思ったものです。

しかし、まさかその業者が僕の仲間だったとは。

(ここでは友人とは言わずに、かつて一緒にコーヒーを淹れていた間柄から
仲間と呼ばせて頂きます。)

僕のちょっとした焼き餅の相手が彼女だったなら
とても気持ちがいいものです。

漫画 『王様ランキング』
そして鎌倉珈琲のNちゃん。

心から応援しております。





















橇(そり)






ロンドンの骨董屋にて


君がこの橇を買うのか? 
持って帰れるのか?

そうだよ。 
これに乗って日本に帰るんだ。


結局、背負ってきた65リッター容量のバックパックに
無理やり収めて帰ってきたのだったかな。
隙間にほかの荷物を敷き詰めて。

もう15年くらい前のこと。
いい思い出だ。

今でもお気に入りの橇である。



そうそう、
橇といえば確かその時、

テートモダン美術館では
ヨゼフ・ボイスの回顧展をやっていたっけ。

橇を使った作品(The Pack)を観れたのは思いがけない幸運だった。








たまには雪山で橇で思いっきり遊びたいものだ。

スキーやスノーボードなど、
自分で制動しなけりゃならないものは怖くて苦手。

でも橇みたいに勢いと流れに身を任せるものだと
急に怖いもの知らずの豪胆に変わるから不思議なものである。





ではカフェをやるうえで重要なのは豪胆さ?
華麗な制動テクニック?
それとも橇のような勢い任せ?

僕にはよく分からない。
けれどもウィンタースポーツなのは確かなようだ。

経営難を冬に例えることもある…

つまりそういうことである。


陽気な春はいつになったら財布に来るのか。
この冬もラッセル&ビバーク気分で忍ぶことになりそうだ。











2019年1月10日木曜日

お食い初めと歯固め水晶






なんでも
生後100日目には「お食い初め」と言って、

鯛を焼き、赤飯を炊いて
祝いの膳を用意するそうな。

とは言え生後100日と云えばまだ歯も生えぬ赤子。
本当に食べるわけではない。
あくまで食事の真似ごとだ。

その際には一緒に
歯固めの石も用意する。

「立派な歯になるように」
「食うに困らぬように」と願ってのことである。

地域や家庭によって呼び名や習わしは変わるであろうが、
この百日祝いの風習そのものは平安時代からあるらしい。


歯固めの石は通常 神社の境内などで拾ってくると言うが、
石がいろいろ邪気を吸着しているというのも有名な話し。

むやみに拾わぬほうが良いと言う。
神社の中とてそれは例外ではないだろう。

 ・ ・ ・



さて先日、長男の賛(たたえ)がお食い初めを迎えた。

やはり路傍の石はすこし怖い。

そこで歯固めに用いたのは世で言うパワーストーン。
天然の鉱石を用意した。




親しくさせて頂いている葉山の Himmel さんにて購入。
http://www.sidhehealing.com/

賛(たたえ)本人も伴って一緒に石を見る。

ダライ・ラマの生まれ変わりを探り当てる如く、
本人にぴったりくる石を握らせればキャッキャ喜ぶかと期待すれど、
やっぱりそんな訳はなく…

結局、いくつか触れさせてみて嫌がらなかったものの中から
親の任意で選ばせてもらった。

そんな次第でうちの子の歯固め石はクォーツ(クリスタル/水晶)と相なった。





クォーツ 
綿とホワイトセージで包んでくれる優しさがありがたい。


これはそのまま、賛(たたえ)のファースト・ストーンとして
彼と時を共にすることになるだろう。



 ・ ・ ・ ・

この砂はみんな水晶だ。
中で小さな火が燃えてゐる。

宮沢賢治 - 『銀河鉄道の夜』より

 ・ ・ ・ ・


まだ生まれて100日とちょっと。
そんな小さな体の中で命の火が燃えている。

彼の銀河鉄道の旅も始まったばかりである。

同乗者として、そして時には機関士として
彼の成長を見守りたい。










またこの場を借りてお食い初めのご馳走を用意してくれた祖母と母、
気長に快く石選びに付き合ってくれた Himmel のS夫妻&N。
それに我が子の誕生を祝ってくれたたくさんの方にお礼を言いたい。



2019年1月8日火曜日

ねじまき雲へ



国分寺へ。

ねじまき雲さんへ。


新年のご挨拶も兼ねて
珈琲を戴きに。





時が深まる。
読書が深まる。
物思いが深化する。

時が鎮まる。
読書が鎮まる。
物思いが鎮まっていく。


店主の長沼さんと
ゆっくり話す。

お喋りも深まって、
ふっと浮かんで
くすくす笑う。

マジメな話し?
それともバカ話?

どちらでも構わない。

そこに落ち着きと
真心があるのなら。



こころも深まる。
気持ちは鎮まる。


深々と、
とつとつと、
とうとうと、


緊張と弛緩が揚棄された
理想的な時間と空間。

肩の力は抜いて、
でも背筋はただして。

集中しながら
どこかまどろむ。



珈琲が旨い。

カップが
物語を教えてくれる。

静かに、
そしてにぎやかに。


ハァ、


取引先として、
先輩として、
友人として、

そして同志として、

ヒマダが好み
敬愛するこの場所は、

ため息のよく合う
とっておきの珈琲屋だ。




ねじさん、
本年もよろしくお願いいたします。









2019年1月2日水曜日

消しゴム判子です





李禹煥?

いいえ、ただの消しゴム判子です。

細工も、彫刻もしていません。

使いかけのかたちそのまんまの

消しゴム判子です。