2018年7月31日火曜日

ジャズとマスター





喫茶店のマスターというだけで
人生の哲人のような、凄い人のような気がしていたのだから、
少年期から何かしらの憧憬はあったのだろう。

今、こうして自分がなってみれば
マスターだからと言って、特に大したことはない。
こと僕に関しては。

高校生の頃だったろうか、
友人が喫茶店でアルバイトを始めた。

乗り換えで使う駅のすぐ側だったので
たまに顔を出したものだ。

モダンジャズの流れる、
喫茶店らしい喫茶店だった。


当時、ジャズの いろは も知らない僕だったが、
ジャズといっても色々あるということは何となく分かっていた。

ではジャズの定義とは何だろう?

どういう話の流れであろうか、
ある日、僕はマスターに尋ねてみた。
「何をもってジャズと言うのですか?」

喫茶店のマスターといえば人生の哲人であり賢者である。
きっと僕に道を指し示してくれるだろう。

彼はおもむろに口を開いた。

「では何をもって男女と言うの?」

……………

深ぇ!!

僕は若干 狐につままれたような感覚を覚えながらも
何やら含蓄ありげな問いに飲まれて二の句を継ぐことが出来なかった。

今にして思えば、きっと彼もジャズの定義など分からなかったのだろう。

ジャズ好きを標榜してみても、その知見は人それぞれだ。
ましてや生粋のマニアでさえ、
ジャズの何たるかを一言で言い表わせる者などそうはいないだろう。

ただ、ジャズという曖昧模糊としたものを
男女に落とし込んでみせた機知は流石であった。

 ・ ・ ・ ・

もしかしたら少年期の僕同様に
喫茶店のマスターを凄い人間だと思っている人がいるかもしれない。

よろしい。ヒマダ主人になんでも相談してきなさい。
全ての質問に僕はこう応えてあげよう。

「では男女の定義とは?」と。

深い!なんて思ってくれれば儲けものだ。


明言を避けること。

質問に質問で返すこと。
本題をすり替えること。
それが賢者の模範解答であると、僕はあの時、そう学んだ。



さて、喫茶店の店主になり、
それなりにジャズ好きになった今でもやはり、
ジャズの定義は分からぬままだ。


最近、ドン・チェリーを聴き直している。
https://www.youtube.com/watch?v=j3ctaCGkLDk

チェリーはジャズか、非ジャズか。
答えを求める必要はない。

あやふやって面白い。漠然って奥ゆかしい。
それがあの頃よりかは少しだけ賢くなって得た智慧なのだから。

ぬるめの珈琲が旨いのとおんなじだ。






2018年7月30日月曜日

今回の“お野菜盛り合わせ”は






料理と言うにはおこがましい程の
ごくごく、シンプルな素材頼みのお食事ですので
臆面もなく自画自賛しておきます。

すっごく美味しい!

今回のお野菜盛り合わせは
“自家製ドライトマトとパルミジャーノチーズ”。

旨みの塊をご堪能ください。

メニューには載せておりませんが、
有機白ワインのハーフボトルも若干数ストックございます。

上記 盛り合わせとよく合います。
ひと声おかけ下さい。





2018年7月28日土曜日

ランプと魔法

店内。李氏朝鮮時代の磁器ランプにみどりをあしらって。


ランプが好きだ。

かそけき明かりが好きとも言えるし、
薄暗がりが好きとも言える。

また結局、火が好きなだけとも言えるだろうが、
火が灯っていないランプも、やっぱり好きだ。




キッチン。インドで買ったオイルランプ



店頭。古い琺瑯傘のガラスランプ。


一概にランプといってもその形や大きさ、仕組み、燃料も様々である。

例えば、『アラビアンナイト』、アラジンの物語りに登場するあのランプ。
僕には水差しか、もしくはカレーポットにしか見えないのだけれども、
あれも先端に灯芯を挿して火を灯す、暦としたランプであるのだ。

こすると精霊が現われ、どのような願いも叶えてくれると云う。
そういう言い伝えがあるのか、作者による思い付きのアイデアなのか、
(この物語はアラビア語の原典がなく、どうやら西洋人による創作らしい)

それはさておき、やはり昔の誰かもランプにうっとり、
魔法と魅力を見ていたのは確かなようだ。

ましてや現代のような人工照明のない時代。
ランプの灯りが生み出す幻影は今とは比べ物にならなかったことだろう。


納屋。古いハリケーンランタン。


時どき、布でランプをこする。
なに、ただ埃を払っているだけだ。

けれども何かの間違いでランプの精が現われることもあるかもしれない。

念のため、願い事の幾つかは用意しておこう。


店内。確か根本きこちゃんから頂戴した(譲ってもらった?)
どこか外国のランプ火屋。蝋燭のカバーに。