2019年9月28日土曜日

名前ばかりイジったって





伊丹十三さんは、キャリアの途中、
マイナスをプラスを転じるという意味で
名前を一三から十三に変えたことが有名です。

それが何とも洒落ているので、
マネをしてみたいと思ったのですが、
いかんせん、僕の名前は啓介。
プラスへの変えどころが見つかりません。

いろいろ考えて、苦し紛れに考え出たのが、
介の字のあたまにプラスを二つ乗っけて、芥。

齊藤啓芥

読みは、サイトウ  ケイアクタ?
いや、ケイカイ?

芥川龍之介みたいでちょっと格好いいですが、
これでは読みがよく分かりませんね。

芥にはゴミ、クズという意味がありますが、
カラシという意味もあります。

さて、それでは芥川のアクタは
どちらでしょうか?と問いたいところですが、
残念ながら彼は本名なのでそこに文藝的な意味はありません。

芥川姓は低湿地の川に由来があるとか。

現代の人は自分の名前にこだわり過ぎなのかもしれません。
昔の人の方が名前の表記にもあまり頓着していなかった気がします。

現に芥川龍之介にも龍之介と龍之助ふたつの表記があるそうですよ。

僕も啓芥などいわずに啓助と名乗ってみたら
何かが変わるかもしれませんが、
長年連れ添った介の字に愛着があるのか、
やはりしっくりきません。

啓、介、という字の意味をそれぞれ調べると、
つくづく自分は啓介だなぁと思います。

ですので名前は諦めて、屋号をプラスにしてみましょうか。

ヒマダコーヒー改め、ヒマダコ十ヒ十……

読み方は………う〜ん、お任せいたします。



記号のような名前の読み方を問われて
「きみの友達とでも呼んでくれ」とプリンスは応えたそうです。

かっこいい

僕も記号で名乗ろうかなと、なんでもマネしたくなるヒマダ主人。

ちなみに芥川の号は澄江堂主人といいますから
僕だったら閑暇堂主人かなとやっぱり人マネばかりしてるのです。

名前ばかりイジったって、
肝心の中身が変わらなきゃ、仕方がありませんねぇ。
















2019年9月24日火曜日

蜘蛛の糸




初めて金縛りに遭ったのは小学生の時だった。
覚えていないけど、たぶん高学年の頃。

夜中、ふと目を覚ましたら何か変な感じがして、
そしてそのまま動けなくなった。

今となってはあれが神経の働きか、
もしくは幽霊の仕業なのかは分からない。

けれどもその時はめちゃくちゃ怖くて、
ひたすら眠っているフリをしながら
気配が過ぎ去ってくれるのを待っていた。

きっと熊に遭遇しても同じことをしただろう。


金縛りに遭うような云われはない。
ただ、一点あげるなら、その日たまたま家の中に出た大きな蜘蛛を
シッシッと追い払ったことに思い至る。

蜘蛛→ → 縛る→ 動けないという連想から
どうもあの蜘蛛をいじめたことに原因がある気がして、
その日以降、僕は蜘蛛に優しく接するようになった。

比較的生きもの全般に優しい方だが、
今でも取り立てて蜘蛛に親切なのは、
きっとそのことがそのまま習慣になっているのだろう。


そういえば芥川龍之介に『蜘蛛の糸』という短編がある。
地獄に落ちた悪人カンダタが、生前に一度だけ蜘蛛を助けたことから
仏に救いの手を差し伸べてもらえるという話だが、

カンダタにさえ蜘蛛の糸が一本垂らされるのだ。
僕だったら一本と言わずに何本かまとめて垂らして貰えるんじゃないかと
いやらしい打算をしている時点で、救いようがないのかもしれない。


なんと、現代の科学力をもってしても、
細さ×軽さ×強度の点で蜘蛛の糸を上回る繊維は存在しないという。
さまざまなメーカーが人口の蜘蛛の糸を開発するのに躍起だとか。

つまり、一攫千金のチャンス!


死後に垂らしてくれだなんて、都合のいいことはもう言わない。
自分で吊り下がる糸は自分で作る。
なので、仏さまにはどうか蜘蛛の糸の人口レシピを教えていただきたい。
いちおう特許権も貰っておきたい。

今後とも蜘蛛には優しくするゆえ、
どうかご利益の便宜をはかってはくれまいか。

だって、僕はいま文字通りの金縛り(かねしばり)、
もとい貧乏に身をすくめられているのだから。























2019年9月20日金曜日

牛肉と馬鈴薯





僕が座右の書と頼む一冊に
『牛肉と馬鈴薯』という短編小説があります。

作者は国木田独歩です。


馬鈴薯とは、じゃが芋のことですが、
別に料理の話ではありません。

牛肉派か、それとも馬鈴薯派か、
という意味合いのタイトルです。

いえ、食の嗜好の話でもありません。

問われているのは
生き方そのものについてです。

理想と現実に臨む態度それぞれが、
ここでは牛肉と馬鈴薯に例えられているのです。

もし毎日、おいしい牛肉を食べたいのなら、
理想は捨てて、現実的に稼いで暮らさねばならない。

夢や理想に生きようとするならば、
贅沢は諦めて毎日、馬鈴薯を食べて暮らすことになる。

ところで「諸君は牛肉と馬鈴薯とどっちが可い?」

それを受け、僕は牛肉党だ、
いや僕は馬鈴薯党だという具合に紳士たちが語らいます。

しかし、牛肉か馬鈴薯かという話題は、
遅れてきた男  岡本の登場により、あらぬ方へと向かうのです。

なぜなら岡本が求めるのは牛肉でもなく、
また馬鈴薯でもないと言うのですから。

「喫驚しちゃアいけませんぞ。」

慎重に前置きしたうえで
岡本は自分の望みを静かに告白します。


「喫驚したいというのが僕の願なんです」


なんと言うことでしょう。
彼が痛切に望むのは、ただ喫驚(びっくり)したいということなのです。


「何だ!馬鹿々々しい!」

もし僕がその場に居合わせたとしても、やはり同じ感想を持ったかもしれません。
しかし呆気に取られる周囲をよそに岡本は更に訴えます。

「宇宙の不思議を知りたいという願ではない、不思議なる宇宙を驚きたいという願です!」

「死の秘密を知りたいという願ではない、死ちょう事実に驚きたいという願です!」



世の中は説明のつかない不思議なことだらけ、
しかしそれらにいちいち驚嘆していたなら大変です。

日頃、私たちは心身の均衡を保つため、
感動を鈍化させながら生きているのかもしれません。

空が青い!!
星がキレイだ!!と毎度 喫驚していたら身が持ちませんからね。

そういった驚くべきこと全てを当然のこととして受け入れて
日々をぼんやり生きていく、それを「習慣」と呼ぶのでしょう。

岡本の願いはそんな「古び果てた習慣の圧力から脱れて、
驚異の念を以ってこの宇宙に俯仰介立」することだと言います。


たしかに「習慣」は僕たちの目を曇らせ、
なぜ空が青いのか、そう問うことさえ忘れさせてしまいます。

では「習慣」のフィルターがかからない、無垢なる眼と心で世界を臨めたなら、
いったいどれほどの感応が待ち受けているのでしょうか。


それを知ってみたいとは思いつつ、
しかしその願望は、少し破滅的にも思えます。

僕にはまるで岡本が、
真理を求めながら人生の絶頂で「時間よ止まれ!」と叫んで昇天していく
ファウスト博士のように思えるのです。

きっと剥き出しの驚愕に出会ったならその衝撃で
魂は千々に吹き飛んでしまうことでしょう。

まさしく、「たまげる」を漢字で「魂消る」と書くように。




岡本のこの願望は、やはり望むべくもない望みなのかもしれません。

現に岡本すらもが、ひととおり気炎を上げたあと、急に意気消沈してしまい、
最後は冗談に紛らわせて自分の願いを誤魔化してしまいます。


「何だ!馬鹿々々しい!」

この言葉が全てを物語っていたのかもしれません。



しかしそれでもなお、『牛肉と馬鈴薯』は僕にとって非常に惹きつけられる作品です。

何故なら、僕が常に牛肉と馬鈴薯 ー
つまり現実と理想のあいだを揺れ動く人間だからであり、
また同時に、いつも心のどこかで喫驚することを望んでいる者なのですから。





2019年9月19日木曜日

雨とバビロン










雨の税務署。

敷地内のゴミ箱にはジャマイカがあしらわれていた。

ザイオンの現出を廃棄しゴミ箱へと押しやるもの。

それをバビロンと呼び、税金と言う。





2019年9月12日木曜日

営業再開のお知らせ




応急処置ながらもシャッターが上がりました!
職人さんの手練には頭が下がる思いです。

後日あらためシャッター交換になりますが、
何はともあれ明日(9/13)から営業再開いたします。

ご心配や励ましありがとうございました。
明日よりもどうぞ宜しくお願い申し上げます!


2019年9月11日水曜日

被害状況 その2

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9/11現在。

台風で壊れたシャッターは修復されないままです。
同様の被害で業者さんも大忙しだとか。


暖簾のように垂れ下がり、捲き上げることも出来ない状態で、
たまたま出来た僅かな隙間が、当座の出入り口となっております。

原始人の洞穴生活のようで、
もしくはアナキストの潜伏生活のようで、
出入りの度にちょっとワクワクしてしまうのですが、
でもそれ以上に、お店も営業できずに困っております。

洞穴喫茶、もしくは潜伏喫茶を楽しみたい方は個別にご連絡ください。
壊れたシャッターの隙間の奥には、いつもと変わらぬ空間が広がっております。





2019年9月9日月曜日

被害状況





凄い雨風でした。

皆さまのところでは被害など出ておりませんでしょうか?

ヒマダコーヒーはシャッターが壊れました。

現在、支柱の抜けたシャッターが垂れ下がったままの状態で、
出入りもろくに出来ません。

本日も皆さまをお迎えしたいのですが、
いかんせん、まずは状態を復帰させないと…

台風の被害で業者さん職人さん各位だいぶ混乱をしているようです。

何はともあれ追ってご報告いたします。

続報をお待ち下さい。




2019年9月6日金曜日

自然と低徊、もしくは余裕




夏目漱石に憧れる。

ひと昔前、漱石にかぶれた折にはいちいち
「これは僕のために書かれたんじゃないか?」
と膝を打ちながら読んだものだ。

さて、一部では漱石のことを余裕派と呼ぶ。

当時の自然主義の流行もあるのだろう。

赤裸々な私小説を美徳とする自然主義の作家たちからしたら、
漱石の鷹揚とした姿勢が少し妬ましく、
またよっぽど余裕こいているように見えたのかもしれない。

漱石自身は自分の主義を低徊趣味と呼んでいる。

経済はともかく、実際に漱石に精神的な余裕があったかと言えば
そんなことはない筈だ。

何故なら少なくとも彼は、
神経を弱らせたり、
大量の吐血をするほど胃潰瘍に苦しんだりしているのだから。

「余裕」はあくまで作風であろう。



さて、
自分を漱石になぞらえるつもりはないが、
僕もたまに人さまから余裕があるように見られる。
たしかに低徊趣味めいた部分はあるだろう。

けれども実際のところは全くもって余裕がない。
窮迫もよいところである。


では、何がどれだけ苦しいか。

赤裸々な告白は自然主義の方に譲るとして、
僕はこのまま火にまみれながら
ポーズだけでも余裕派を演じていよう。
















2019年9月5日木曜日

読書の切れはし その②




 人間は誰でも毎日親しくしている友だちの影響をうけて、知らず知らずのうちに良くも悪くも変わるものです。それで昔から「朱に交われば赤くなる」といって、良い友だちを選べ、という格言が世界中にありますが、同じように、毎日いっしょにいるもの言わぬ友だちも、人に強く影響を与えますから、私どもは用心せねばなりません。

 もの言わぬ友だちというのは、毎日私たちといっしょにいる道具類のことです。人間は誰でもみな丸裸で生まれて来ますけれども、必ず多くの道具を使い、それにたより守られて、長い一生を暮らしています。その道具が良いか悪いか、美しいか汚いかで人間の心がけが変わるのです。たとえば、運動服を着けると勇む心が起こり、寝間着を着るとゆるんだ心になります。見せかけの、形も色も悪い道具類を毎日使っていると、心まで粗末になってしまいます。ですから形も色も良く、たよりになる健康な美しい道具を選びたいものです。



外村 吉之介 『少年民芸館』より



2019年9月4日水曜日

気がかりが少し融けること。珈琲の味のこと。







ふとした気まぐれだったのだろう。

懐かしいシャツに袖を通し、
懐かしい曲をかけてたら、
なんと懐かしい友が現れた。

思えばシャツも、曲もそのころ気に入っていたものだ。

まるで召喚魔法みたい。

不意に、昔が戻った気分。



手が空いたので少しお喋りをし、一緒に珈琲を飲む。

それもまた懐かしい。


気持ちが安らいでいる時は珈琲を美味しく感じられる。
これは本当だ。

自律神経の働きによるものだろう。

逆に疲れていたり寝不足だったり、ストレスフルな時は不味くなる。


その一杯は、久しぶりに心から美味しいと思えるものだった。

手前味噌なのが恐縮であるが

(もちろん旨い豆があってこそ)


案外、珈琲の味を通して本当の自分に気付くことがある。

きっと僕はその時、とっても嬉しかったんだろうな




この10年の気がかりが、少し融解。

失って諦めていた、大切なものの片鱗を少し取り戻す。








サンキュー!みいたろ。

サンキュー!本・中川

またみんなで一緒にピクニックしよう。

酸味のきいた林檎も、
おみやげ絵本も最高だよ!






2019年9月3日火曜日

粋と耳の穴

みやげで貰った木彫の耳かき
ウッフン♪


そうして、かような媚態が
「いき」の基調たる「色っぽさ」を規定している。

九鬼周造『「いき」の構造』より







歳をとると鼻の穴が大きくなるそうだ。
周りの筋肉が衰えることが原因と聞く。

近ごろ、シャワーを浴びると 
やたら耳の中に水が入るようになった。
風呂上がりには綿棒が必須である。

まさか、加齢で耳の穴まで拡がるのだろうか。

それで人の話しや意見がきちんと聞けるようになれば良いのだが、
実際は歳とともにより頑固に、より意気地になる一方だ。


耳の穴かっぽじって聞きやがれ…と啖呵を切るのは江戸っ子の粋である。

大正/昭和の哲学者 九鬼周造によると粋(いき)とは
意気地と媚態と諦めの織り合わさった心的態度であるという。

歳とともに意気地になって、
それでも人の話を聞こうと媚態をつくり、
てやんでえ、やっぱり駄目だと諦める。

そんなので粋になれたら結構なのだが…

いくら綿棒で耳の穴かっぽじったって、
粋にもなれぬし、人の話もやっぱり聞けない。
野暮にばかりなってゆく。


耳の穴が拡がることなどない気がするが…

コンチクショウめ。
今宵も耳にこもった水がしゃらくさい。