2018年6月28日木曜日

珈琲、もう一杯



ディランにマーリー、

二人のボブは共に
珈琲をもう一杯飲んだら行くと歌います。

ディランは旅に、
マーリーは彼女とサヨウナラ。

Bob Dylan / One Cup Of Coffee
Bob Marley / Cup Of Coffee

二人ともとても格好いいけれど、
それを真似る必要はありません。

そんな慌てなくたって、
ただのんびり二杯目の珈琲を。

その後に予定はいりません。
それで良いではありませんか。

当店では、
ドリップ珈琲のお代わり各種200円引きでお出ししております。

ブレンド → メキシコ などの乗り換えも可能です。

もう一杯の珈琲が
あなたのその日を少し、良い日にできたら幸いです。


どうぞ憩いにいらして下さい。

たまにボブ・ディランをかける、ヒマダコーヒーよりのお誘いでした。














2018年6月26日火曜日

僕の英雄




祖父は運動が好きな人でした。

若い時は野球をしていたと言いますし、
初老を迎えてもテニスを、また老後もゴルフを愉しんでいたものです。

なので、彼の指に遺る大きな瘤も、
僕はずっとスポーツによるマメか怪我の痕であろうと、
勝手にそう思っておりました。

その瘤の原因が、戦車のハッチで指を挟んで出来たものであると知ったのは、
僕が大人になってからのことです。

なんでも、戦地への配属を忌避する為に
自ら重い鉄のハッチに挟んで指を潰したという話です。

もちろん戦争中のことです。

その話を本人から聞いた時、
僕はほんの少しだけ怪訝な感情を抱いたことを白状しなければなりません。

気持ちの上でははっきり戦争反対なのにも関わらず、

兵役逃れはどこか不名誉で、
戦場で人をたくさん殺すことが栄誉あることと
知らぬうちに刷り込まれている自分がいたようです。

ハリウッド映画の見過ぎでしょう。

けれども僕のその当惑も、祖父の次のひと言で消し飛びました。

「でもそのお陰で、こうして ばあば(祖母)に逢えた」

そう、祖父と祖母はその後 出逢って結婚したのです。
もし彼が出兵していたなら…どうなっていたかは分かりません。

祖父のこの言葉を聞いた時から、
スタローンにもチャック・ノリスにも劣らない、
彼こそが僕にとっての英雄になりました。

両手でマシンガン放つばかりが英雄ではないのです。


7月8日(日)はその祖父の一周忌です。
法要のため店はお休みを頂戴いたします。


何卒ご理解ごと容赦をお願いいたします。







2018年6月22日金曜日

圧力鍋と岡本太郎




今でこそ日々活用している圧力鍋だが、

実は僕は以前、圧力鍋に対して、
軽い恐怖心を持っていた。

何が怖いって、
金属の塊の中に高圧が唸り猛っているかと思うと
それが今にも破裂しそうな気がして…
人知れずちょっと怯えていたのだ。

その心配を克服したのは、結局、慣れと云うものだが、

何でも世の中には、本当に圧力鍋を利用した爆弾があるらしく、
かつては学生運動や、今でもテロ活動で用いられていると云うから、
あながち僕の不安も見当違いのものではなかったのかもしれない。


芸術は爆発だ!とはご存知、
岡本太郎氏の名言であるが、

その爆発的なエネルギーは
料理の皿に閉じ込めて、

今日も破壊活動ではなく、
おいしいものを作るため、圧力鍋を使いたい。





どうぞひとつひとつの食卓が穏やかで平和なものになりますように。




2018年6月21日木曜日

休業日のお報せ


7月8日(日) - 法事ごとの為、お休みを頂きます。

 
7月14日(土) - ケータリング業務の為、お休みを頂きます。


どうぞご容赦の程、宜しくお願い致します。

2018年6月18日月曜日

オールド・ビーカー・ブルース





古いものが好きである。
これはそんな僕が出会った、
なんとも微妙な話なのだ。

そして今回の話題は少し汚い。

不快に思われる方がいらっしゃるかもしれない。

そのことをご理解いただいた上で

お読みいただければありがたい。



さて、何年か前のはなし。


突然の血尿に驚いた僕は、

生まれて初めての泌尿器科というところに
行ってみることにした。

脱ぐかもしれないし、触診などもあるかもしれない。

それはどうにも恥ずかしいということで、

お爺ちゃん先生がやっている病院を隣町に見つけ

そこにかかることにした。

お年寄り相手なら恥辱も少なかろうという算段だ。



その医院は古い建物の2階にあった。

受付の女性が1人、高齢の医師が1人という小さな診療所である。

さて、呼ばれて入った診察室は、

僕にタイムスリップを錯覚させるくらいに年季の入った、
レトロな医療機器で満たされていた。

どれも古道具屋で見たことあるようなものばかりだ。

数十年は機器の入れ替えがないのではなかろうか。
きっとこういう所が廃業すると、古物商に什器が流れるのだろう。

昭和の、田舎の町医者ってこうだったんだろうなと思う。

まるでドラマや映画のセットみたい…

この医師が相手だったら脱いでも恥ずかしくないし、

また古いもの嗜好も刺戟されて、この医院を選んで正解だったかもしれない。


では、まず尿を見てみましょう。

お爺ちゃん先生に促され、僕はお手洗いへと向かった。
が、どうにも検尿用の紙コップが見当たらない。

あの、紙コップはどこですか?


するとおもむろに老爺は答えた。


ビーカーがあるから、それにおしっこ入れて。


確かにお手洗いの入り口には、

年代物のガラス製ビーカーが置いてあった。

とても素敵な、それまで僕が、好んで古道具屋で買い求めてきたような…






古いものを求める際は、それがどこでどう使われてきたか

可能な限りで確認するのが賢明かもしれない。

それ以来、僕は古いビーカーを買うのをすっぱり止めた。


結局 血尿は抗生物質の一錠で治まり、

お爺ちゃん先生へかかることはその後なかった。

暫くして、その医院の前を通りかかると売り物件となっていた。

きっと高齢のため廃業したのだろう。
もともと診療日も少なく、診療時間も極端に短かったのだ。

院内にあったレトロな什器たちも業者に回収され、

今ごろ古道具屋に並んでいることだろう。

いわんや、あのビーカーも…である。








カフェの天使とメフィストフェレス




いいカフェには天使がいると、ある人が言っていた。

少し冷淡な僕はきっと ふ~ん  と適当に聞き流したのではなかったか。

そのせいかは知らぬが、自分でカフェを営むことになった今でも、
やはり巻き毛の天使は僕のもとに舞い降りてきてはくれないようだ。


そういえば彼女はクリスチャンだったが、
カフェの天使にお目見えするのに信仰心は必要なのか。

いいや、それは必須じゃないだろう。
少なくとも無信心の僕に限っては。

きっと大切なのは、
祈る気持ちと、敬虔なこころ持ち。

祈るように珈琲を淹れ
敬虔さを持って鍋を振るうのだ。


“それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、
天使のように純粋で、そして恋のように甘い” と珈琲を謳ったのは
フランスの政治家タレーランだ。

清濁 聖俗 併せ持つのが珈琲でありカフェである。


いつか天使のご顕現を仰ぎたいものだが、
それが悪魔でも構わない。いや、むしろ嬉しい。

“常に向上の努力を成す者”の元には、
悪魔が現れるとゲーテの時代から決まっているのだから。 


時間よ止まれ!とは悪魔メフィストフェレスと旅をする
ファウスト博士の有名な台詞である。


今日も仕込みが間に合わない。
またオープンが遅れそう…

カフェの朝はそれなりに慌ただしいのだ。


時間よ止まれ!

僕も切にそう祈る。






追記

お師匠 夫妻が沖縄で波羅蜜(PARAMITA)という店をオープンさせたそうだ。
波羅蜜とはジャックフルーツのことであり、
また仏教において悟りの境地に至ることを言う。

天使ならぬ、天の童子たちが舞い踊る素晴らしいカフェだろう。

いつか行くのが楽しみである。