いいカフェには天使がいると、ある人が言っていた。
少し冷淡な僕はきっと ふ~ん と適当に聞き流したのではなかったか。
そのせいかは知らぬが、自分でカフェを営むことになった今でも、
やはり巻き毛の天使は僕のもとに舞い降りてきてはくれないようだ。
そういえば彼女はクリスチャンだったが、
カフェの天使にお目見えするのに信仰心は必要なのか。
いいや、それは必須じゃないだろう。
少なくとも無信心の僕に限っては。
きっと大切なのは、
祈る気持ちと、敬虔なこころ持ち。
祈るように珈琲を淹れ
敬虔さを持って鍋を振るうのだ。
“それは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、
天使のように純粋で、そして恋のように甘い” と珈琲を謳ったのは
フランスの政治家タレーランだ。
清濁 聖俗 併せ持つのが珈琲でありカフェである。
いつか天使のご顕現を仰ぎたいものだが、
それが悪魔でも構わない。いや、むしろ嬉しい。
“常に向上の努力を成す者”の元には、
悪魔が現れるとゲーテの時代から決まっているのだから。
時間よ止まれ!とは悪魔メフィストフェレスと旅をする
ファウスト博士の有名な台詞である。
今日も仕込みが間に合わない。
またオープンが遅れそう…
カフェの朝はそれなりに慌ただしいのだ。
時間よ止まれ!
僕も切にそう祈る。
追記
お師匠 夫妻が沖縄で波羅蜜(PARAMITA)という店をオープンさせたそうだ。
波羅蜜とはジャックフルーツのことであり、
また仏教において悟りの境地に至ることを言う。
天使ならぬ、天の童子たちが舞い踊る素晴らしいカフェだろう。
いつか行くのが楽しみである。
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