2019年11月30日土曜日

わだかまる





わだかまる。

漢字で書くと「蟠る」。

わだかまるとは、心に不平不満を残すことを云うけれど、
本来の意味は、蛇がとぐろを巻くことなのだそうだ。

蛇の祟りなんて昔話も多いけれど、
蛇と云うのは何かとわだかまりがちな、執念深い生き物なのかもしれない。


悪魔サタンは、蛇の姿でイブに知恵の実を食べるようそそのかしたと云う。

サタンも神に反旗を翻した元天使なのだから、
やはり神に対してわだかまるものがあるのだろう。


なぜ蛇がとぐろを巻くかと云えば、
それはその方が安心で安全だから、と云うことだ。

伸び切ったままの細長い姿では外敵に対して不用心である。
身体をコンパクトに纏めた方が安全なのだ。

また、身体が何かに密着していると安心するのは人間だって同じであろう。
僕らが普段何気なくする腕組みなども、実はその端緒であったりする。

つまるところ、わだかまるとぐろを巻くと云う行為は蛇が自分の身を守るうえで、非常に大事な手段であるのだ。

同じように、僕らの中のわだかまりも案外必要なことなことなのではないだろうか。

多少残した恨みやつらみも、自分を守るための方策なのだ。
無理やりほどいたり、気に病み過ぎる必要はない。

わだかまるべきものはわだかまって、
そして少しずつほぐれていけば良い。


蛇が神話や伝説のモチーフになるのは執念深さからだけではない。

何度でも脱皮する=生まれ変わることが出来るからなのだ。
蛇とは、生命と再生と、そして豊穣の象徴でもある。

心の中で巻いたとぐろは、僕らを守り、また何度でもやり直せることを教えてくれている。

ほぐれてしまえば、ほらニョロニョロニョロ。

蛇はしなやかで力強く縦横無尽に移動ができる。

心もまた然りであろう。





2019年11月24日日曜日

レトルトねぇ





レトルトねぇ、
レトルトで素敵ねぇとお客様。

ありがとう。
でもそれを言うならレトロでしょう。

当店のお食事は全て手作り。
出来合いの品は使っておりませんのでご安心ください。


とは言えレトルトとは本来ガラス製の実験器具のこと。
その起源は中世の錬金術師たちに行き着きます。

そういった意味ではヒマダコーヒーは
レトルト的でありたいとも思うのです。

なぜならお茶を淹れ、鍋を振るう人間はみな
錬金術師の末裔なのですから。


ビーカーや坩堝など
理化学器具をやたら用いてしまうのはそのせいでしょうか…


とまれ不老不死の霊薬とはいきませんが、
ホッとするひと時なら提供できるかもしれません。


よろしければヒマダコーヒーにお越しください。
レトロな古道具ともどもお待ちしております。








魔法。
魔法とは、まあ何と笑わしい言葉であろう。
しかし如何なる国の何時の時代にも、魔法というようなことは人の心の中に存在した。そしてあるいは今でも存在しているかも知れない。

幸田露伴  『魔法修行者』より




























2019年11月23日土曜日

フィンランドのバンド。





コールドプレイというバンドを初めて知ったのは、
旅行で訪れていたヘルシンキのホテルのテレビのMTVでだ。

フィンランドのバンドスッゲー!!と早とちりした僕は翌日さっそく
いくつかヘルシンキ市内のレコードショップを回ってみたが
残念ながら彼らのアルバムは見つからなかった。

帰国後、駄目元で渋谷のタワーレコードで探してみたら
呆気ないほど簡単に見つかったのには少し驚いた。

コールドプレイがイギリスのバンドだと知るのは帰宅して
CDの封を開いてからのことである。


とても良いアルバムではあったが、
結局あまり聴かなかったのは、旅の興奮が冷めたこともあり、
またご当地バンドを掘り当てたという勘違いも抜けてしまったせいだろう。

当時の僕はインストゥルメンタルばっかり聴いていた。


現在でも活躍していることを知ってはいるが、
僕にとってのコールドプレイは、あのファーストアルバムで止まったままだ。

友人との会話の中に彼らの名前が上がり、
ふいに、役20年前の小さな勘違いがよみがえった。


ついでに、20世紀最後のクリスマスに沸くヘルシンキの街並みも思い出す。


















当時はまだアラビア社も健在であった。

近所の美術館では現在カイ・フランク展を催しているという。
懐かしい。行ってみるのもいいかもしれない。














2019年11月20日水曜日

平和と暇と










久しぶりに取り出した本に挟まっていたステッカー。


プラスティック・オノ・バンドの曲名だ。

覚えていないがきっと栞にしていたのだろう。



スクール(学校)の語源となった古代ギリシア語のスコレーとは
本来、暇(ヒマ)のことである。

たしかに、時間的な余裕がなければ勉学も出来ないし本も読めない。

欠伸したり頬杖ついたりするだけが暇(ヒマ)でない。
暇(ヒマ)とは修養の時でもあるのだ。

いま僕たちが本を読んでいられるのは豊かさと、そして平和の賜物だ。

GIVE PEACE  A CHANCE

平和を我等に

ページのうえにだって平和は見つけられる。
シュプレヒコールを叫ぶばかりが平和じゃない。

ため息ついて、コーヒー飲んで、本を眺める平和活動があっても良いじゃないか。


奇しくもアリストテレスが言っている。

“我々は閑暇を持つために働くのだ”と。


労働も、そして教養も暇(ヒマ)を中心にして回っている。
文化は、暇(ヒマ)から生まれるのだ。


あなたも、暇(ヒマ)を感じながら平和な午後を過ごして欲しい。
それも出来たらヒマダコーヒーで。




“判りきったことだが、コーヒーは輸入せねばならない。
戦争になったら、コーヒーはお仕舞いである。
大きな声では言えないが、私が平和運動に熱心なのは、
一部分、コーヒーが飲めなくなることへの恐怖から来ているのかも知れない。”

清水幾太郎 


あはは、こんな平和活動もある。
















2019年11月11日月曜日

ブラックバード・その備考







ブラックバード、和名:クロウタドリについて前回書いた。

今回はその備考。

ビートルズのブラックバード』はマッカートニー曰く黒人女性の解放をテーマにしているらしい。後半に挿し込まれるクロウタドリのさえずりが印象的、まるで春や夜明けを告げるかのようである。


作曲家オリヴィエ・メシアンはクロウタドリの歌声を採譜して『世の終わりの為の四重楽奏』に落とし込んだ。バイオリンがクロウタドリの囀りを再現している。

世の終わりなどとは物騒であるが、どうやらこれはカタストロフと言うよりは歓びに満ちた神の国の到来を指しているように思える。


ともあれ解放を謳ったり、世の終わりを先導したりとクロウタドリも忙しい。
人はクロウタドリの歌声にいったい何を感じいるのだろうか。



デビッド・ボウイの『ベルベット・ゴールドマイン』にも曲の最後、鳥の声が現れる。
特にクレジットがある訳ではないものの、やはりこの歌声もクロウタドリのように思われる。

『ベルベット・ゴールドマイン』は退廃的で、背徳的で、艶かしい肉感的な曲だ。

『世の終わりの為の四重楽奏』が天国志向ならば、『ベルベット・ゴールドマイン』は悪魔=地獄志向とも言えそうだ。


天国にも地獄にも現れる、クロウタドリって、いったいなんなのだろう。


コラン・ド・プランシーによる有名な『地獄の辞典』によると、カイムという悪魔がいるらしく、クロウタドリの姿で、もしくは鳥の着ぐるみを着て現れるとか。












ナイスな奴だ。
悪魔に魂を売り渡すならこんな奴がいい。

さて、見た目の愛嬌とは裏腹に、なんでも悪魔の中で一番弁が立つ存在らしく、かの宗教家マルティン・ルターを論争で苦しめたという逸話も残っている。


現在は悪魔の総裁を務めるカイムももとは天使だったと言うから、ナルホド、多くの音楽家に霊感を与えてきたクロウタドリの正体はコイツなのではと勘ぐりつつマザーグースを紹介しよう。


イギリスのマザーグース(童謡)のうちでも人気があるとされる『6ペンスの歌』の主役は24羽のクロウタドリである。

6ペンスの唄を歌おう♪
ポケットにはライ麦がいっぱい♪
24羽のクロウタドリ♪
パイの中で焼き込められた♪

(以下略)


歌詞内容はまるで意味不明、まるで暗号のようである。
その意味を巡ってはさまざまな解釈があるようだが、クロウタドリが悪魔による罰を表しているという説もあるらしい。

こんなところにもカイムの影が

とまれクロウタドリの正体が悪魔か天使か知らぬが、人々の感性に多大な影響を及ぼしてきたのは確かなようだ。

友との和解をブラックバードに例えてみたり、僕もまたクロウタドリに魅せられた一人に相違ない。










2019年10月30日水曜日

ブラックバード





船頭を雇って1日ボートツアーを楽しんでいた時だ。


オオバンケン、
カワリサンコウチョウ、
キタタキ、
チャイロオナガ、
コウライウグイス、
オオカワセミ、

その他たくさん

今でもインド南部の街アレッピーの水路を思うと僕はうっとりしてしまう。
景観もさることながら、なんと野鳥が豊富だったことか。

その日だけでもたいへん多くの鳥を観察できた。
なかでもとりわけ僥倖だったのがクロウタドリとの出逢いである。

ヨーロッパではさして珍しくない鳥であろうが、
お目にかかるのは初めてだった。

ビートルズに『Black Bird』という曲があるが、
あれはクロウタドリのことである。

見てみたかった鳥なので当然ヤッターと思った。
それからK君を思ってエヘンと自慢する気持ちになって、それから少し寂しくなった。

彼とは学生時代からの親友だったが、ちょっとした齟齬がもとで友情が途絶えていたのだ。

『Black Bird』が好きで、それがこうじてクロウタドリも好きなやつだった。

自慢してやりたいのに自慢する相手がいないのはつまらない。



嬉しいことがあると直ぐ彼に報告していた。
トラブルさえなければクロウタドリを見たことも真っ先に報告していただろう。
けれども上記のように報告と自慢は紙一重である。

思うに、友情に甘えていたフシがあるのではないか。



『Black Bird』は夜の闇の中を折れた翼で、それでも光を目指して飛ぼうとする鳥の歌だ。

僕の場合、友だちを失ったからといって、そこまで悲壮にはならない。
心にしこりを残しつつも比較的淡々としていられる。

けれども歌詞にある通り、“その時が来るのを待っていた”ところはあるだろう。


10年ぶりくらいか。
この度、K君との関係を修復することが出来た。
と言っても、僕はなにもしていない。待ってただけだ。

働きかけてくれた彼の勇気に感謝したい。
実はスゲー嬉しい。



お互い環境の変化なども色々あったろう。
積もる話をゆっくり分かち合っていければと思う。
クロウタドリのことも話したい

 なぜって、クロウタドリは春を知らせてくれる鳥なのだから。



僕らのあいだの雪も解けた。
僕らは結局、ジョンとポールのようなものなのだと、
今はキザにまとめておこう。






















2019年10月28日月曜日

Don’t Think Twice






湿った別れは好きじゃない。

どうせオサラバするなら笑えるくらい愉快で滑稽なほうがいい。

泣いて別れを惜しむより、笑ってアバヨと逃げ去りたい。

Dont Think Twice 

直訳すると“2度考えるな”だが、慣用的には“クヨクヨするな”という意味合いになるそうだ。

Don’t Think Twice.It’s Alright 』は別れを歌ったボブ・ディランの曲である。

“クヨクヨするな。これでいいんだよ”

一説によるとこの曲は恋人との別れに見立てながら本当はそれまでの自分との決別を歌ったものだともいう。

僕も常に自分を刷新したいせいだろうか、この曲を聴くとグッと感極まって泣きそうになるのだが、この歌のメッセージは“Dont Think Twice”、“クヨクヨするな”だ。

やはりハチャメチャなくらい陽気で明るい方がいい。

そのせいか僕はボブ・ドローによるカヴァー曲の方がさらに好きである。






サヨナラに際して男の繊細さや未練が透けて見えるディランの歌に対してドローの歌う『Don’t Think Twice』は“この人ふざけてるのかな?”というくらい陽気で軽快なのだが、そこがなんとも言えず粋でチャーミングなのだ。

(クラリスの心を盗んで逃げていくルパン三世のようと言えば分かりやすいだろうか?)


別れにメソメソしたくない。笑って“アバヨ!”とお道化たい。

これから先、自分を棄てねばならないことや辛い別れなどもあるだろうが、そんな時にはドローの歌を頼りに僕は“オサラバ”洒落込もうと思うのであった。





ボブ・ドローが昨年死去したことをただ今知った。
享年94歳。

Dont think twice』を個人的な葬送曲として手向けよう。