2019年10月17日木曜日

喋っちゃいけない訳じゃない




当店もオープンして3年が経ちました。
その間一度も顔を見せない友人知人も沢山いますが
まさかそれを非難するわけにはいきません。

店の利用なんてものは一寸したタイミングと切っ掛けだったりしますし、
僕だって顔を出していない場所が沢山あります。

ただし、いちおう是正したいのが たまに言われる
「だってヒマダコーヒーって喋っちゃいけないんでしょ?」という誤解です。

実際、店内ではお閑かにとお願いしております。
賑やかなお喋り向けの店ではないのですが
しかし決して喋っちゃいけない訳ではありません。

本当は存分にご談笑いただければ良いのですが、
残念ながらヒマダコーヒーは店舗が狭く、声がよく響く空間となっております。

もし誰かのお喋りによって、他のお客さまがウルサイなぁと思ってしまったら、
それはとても悲しいことです。

本を読みに来たのに、ゆっくり考えごとをしに来たのに、
ほっとひと息つきに来たのに、
他所の声がうるさくてそれが台無しになってしまうなんて、
そんなことはあってはなりません。

閑かに過ごしていただくという約束は、皆が落ち着いて過ごせるよう、
最大公約数的な “良い時間” を求めた結果のお願いです。

どうか周囲への配慮をお忘れなきよう、
他の方の安寧にこころを配りつつ、ご歓談いただければと思います。

(それに閑かにするって、気持ちが良いでしょう?)

決して喋っちゃいけない訳ではありません。
店主もお客さまとお話しするのが大好きです。

ゆっくり、言葉を噛み締めながら、豊かな会話を楽しみましょう。


和敬清寂

皆がお互いをリスペクトし合い、清らかな良い場が作れたら素敵です。
また僭越ながら、それこそが店主の夢なのです。
















2019年10月16日水曜日

パタゴニアのトート






パタゴニアのブラックホール生地のトートバッグ。

(写真は旧モデル)

軽量で頑丈。防水。
生地に張りがあるので物も収納しやすい。
加水分解も起きにくそうだ。

旅行用のサブバッグとしては少し嵩張るけれど、
毎日の買い物や海でのレジャーなどには凄くいい。

ご覧の通り、10kgを容れても平気なヘビーデューティ。

もともと息子が生まれた時に
お出かけ用として買ったもの。

でもそれって、こういう意味じゃないんだけど

ともあれ息子も気に入っている様子。
ブランコとしても便利らしい。





お休みと開店遅延のお知らせ。





ヒマダコーヒー
10/17(木)の coffee & quiet はお休みとさせて頂きます。

また仕出しのため10/18(金)、19(土)の開店時間が少し遅れるかもしれません。
詳細はまたご報告いたします。


2019年10月11日金曜日

大事なことは、たちつてと





まだ少し早いけど、
息子に読み聞かせようと
実家から持ち帰った
ぐりとぐら何冊かです。

小難しい本も読まなくはないけれど、
どんな文豪や哲学者より
僕がいちばん尊敬するのは
野ねずみのふたごの兄弟
ぐりとぐらです。


久しぶりに声に出して読んでみて、
はからずも初心というものを取り戻しました。
知らぬ間に忘れていたようです。

残念ながらもやはり、
1歳児の関心を引くことは出来ませんでしたが…



たいせつなもの
ちず
つめきり
てぶくろ
とけい


これはどんな箴言や名シーンも及ばない。
僕がいちばん好きなページです。






努力と猥談






努力とは輝かしく、それだけで応援したくなるものです。

こんなにも努力が素晴らしいのは、
それは、努力が人間だけに与えられた資質であり、
努力がなければ今日の文明もなかったからかもしれません。

人類の不断の努力が、我々の叡智と能力を常に向上させているとも言えるでしょう。


さて、かく言う僕はというと面目ないことにこれまで何かに打ち込んだことも特になく、
努力を惜しみ、頑張ることを嫌がる無気力で捻くれた若者でした。

そんな僕がこれまで努力したことを敢えてひとつ挙げるとしたら、
それは恥ずかしながらも「下ネタ」を言うことです。

思春期を迎え、友だち同士のコミュニケーションに下ネタが不可欠になってさえ
僕はどうしてもセクシャルな話をするのが苦手でした。

どうしてみんな臆面もなく性的な会話が出来るのだろう?
あまつさえ明け透けに自分の性的嗜好まで明かすだなんて
羞恥心はないのだろうか?

なんて、なんて、羨ましいんだ!

僕が覚えた感情は軽蔑でなく羨望でした。

なんの鬱屈もなしに己が劣情を晒せる級友たちがとにかく晴れやかに見えて羨ましく、
人知れず僕は、少しずつ会話に加わり出来るだけ発言もする努力を始めたのです。

忘れもしません。高校三年生の時です。
受験勉強もしないで僕はスケべな会話に勤しみました。

とは言え元来その手の話が苦手な身、
恥ずかしくって級友たちのような直截な表現は出来ません。
そこで僕が取った手段は暗喩を用いて歪曲的に仄めかすという言い方でした。

考えてみて下さい。

直球一辺倒の少年野球界に、変化球投手が現れたとします。
大活躍間違いなしでしょう?

同じようにして僕の下ネタも仲間うちに喝采をもって受け入れられたのでした。

努力が培うのは技能だけではありません。
頑張った分だけ自信も一緒に育ちます。

好評に気を良くした僕はその後も粛々と発言を続け、
自信をつけながら猥談に慣れ親しんでいくのでした。

今にして思えば実に思春期らしい1コマです。
下ネタを言いたかったというよりは、きっと自分の殻を破りたかったのでしょう。

しかし反動というのは怖ろしいものです。
それまで堰き止められていた分、一度憶えると止まらなくなってしまうのですから。

カタルシスというやつでしょうか。


いちいち頰を染めていた紅顔の少年も現在では下世話な無精ひげのオジさんになりました。

もし、その手の話を愉しみたいなら、営業終了後ヒマダコーヒーにお越しください。
日中は見せない店主の顔を披露します。

とはいえ、直截的なもの言いはやっぱり苦手です。
暗喩表現に磨きがかかったばかりか、記号や象徴をも伴ない
もはや何を言っているのか分からないとの評判ですので悪しからず。


まず第一に、エロティシズムは、人間の性欲が禁止によって制限されており、そしてエロティシズムの領域が、この禁止に対する違犯の領域であるという意味で、動物の性欲とは異なるものであります。エロティシズムの欲望は、禁止に打ち勝つ欲望なのです。それは人間を人間自身に対立させます。

ジョルジュ・バタイユ



努力というのは素晴らしいものですが、
やはりその向けどころはきちんと吟味したほうが良さそうです。
もし違うところに向けていたなら今ごろ

いえ、お陰で仲間とゲラゲラ出来ました。
これも努力が生んだ大切な財産です。





















2019年9月28日土曜日

名前ばかりイジったって





伊丹十三さんは、キャリアの途中、
マイナスをプラスを転じるという意味で
名前を一三から十三に変えたことが有名です。

それが何とも洒落ているので、
マネをしてみたいと思ったのですが、
いかんせん、僕の名前は啓介。
プラスへの変えどころが見つかりません。

いろいろ考えて、苦し紛れに考え出たのが、
介の字のあたまにプラスを二つ乗っけて、芥。

齊藤啓芥

読みは、サイトウ  ケイアクタ?
いや、ケイカイ?

芥川龍之介みたいでちょっと格好いいですが、
これでは読みがよく分かりませんね。

芥にはゴミ、クズという意味がありますが、
カラシという意味もあります。

さて、それでは芥川のアクタは
どちらでしょうか?と問いたいところですが、
残念ながら彼は本名なのでそこに文藝的な意味はありません。

芥川姓は低湿地の川に由来があるとか。

現代の人は自分の名前にこだわり過ぎなのかもしれません。
昔の人の方が名前の表記にもあまり頓着していなかった気がします。

現に芥川龍之介にも龍之介と龍之助ふたつの表記があるそうですよ。

僕も啓芥などいわずに啓助と名乗ってみたら
何かが変わるかもしれませんが、
長年連れ添った介の字に愛着があるのか、
やはりしっくりきません。

啓、介、という字の意味をそれぞれ調べると、
つくづく自分は啓介だなぁと思います。

ですので名前は諦めて、屋号をプラスにしてみましょうか。

ヒマダコーヒー改め、ヒマダコ十ヒ十……

読み方は………う〜ん、お任せいたします。



記号のような名前の読み方を問われて
「きみの友達とでも呼んでくれ」とプリンスは応えたそうです。

かっこいい

僕も記号で名乗ろうかなと、なんでもマネしたくなるヒマダ主人。

ちなみに芥川の号は澄江堂主人といいますから
僕だったら閑暇堂主人かなとやっぱり人マネばかりしてるのです。

名前ばかりイジったって、
肝心の中身が変わらなきゃ、仕方がありませんねぇ。
















2019年9月24日火曜日

蜘蛛の糸




初めて金縛りに遭ったのは小学生の時だった。
覚えていないけど、たぶん高学年の頃。

夜中、ふと目を覚ましたら何か変な感じがして、
そしてそのまま動けなくなった。

今となってはあれが神経の働きか、
もしくは幽霊の仕業なのかは分からない。

けれどもその時はめちゃくちゃ怖くて、
ひたすら眠っているフリをしながら
気配が過ぎ去ってくれるのを待っていた。

きっと熊に遭遇しても同じことをしただろう。


金縛りに遭うような云われはない。
ただ、一点あげるなら、その日たまたま家の中に出た大きな蜘蛛を
シッシッと追い払ったことに思い至る。

蜘蛛→ → 縛る→ 動けないという連想から
どうもあの蜘蛛をいじめたことに原因がある気がして、
その日以降、僕は蜘蛛に優しく接するようになった。

比較的生きもの全般に優しい方だが、
今でも取り立てて蜘蛛に親切なのは、
きっとそのことがそのまま習慣になっているのだろう。


そういえば芥川龍之介に『蜘蛛の糸』という短編がある。
地獄に落ちた悪人カンダタが、生前に一度だけ蜘蛛を助けたことから
仏に救いの手を差し伸べてもらえるという話だが、

カンダタにさえ蜘蛛の糸が一本垂らされるのだ。
僕だったら一本と言わずに何本かまとめて垂らして貰えるんじゃないかと
いやらしい打算をしている時点で、救いようがないのかもしれない。


なんと、現代の科学力をもってしても、
細さ×軽さ×強度の点で蜘蛛の糸を上回る繊維は存在しないという。
さまざまなメーカーが人口の蜘蛛の糸を開発するのに躍起だとか。

つまり、一攫千金のチャンス!


死後に垂らしてくれだなんて、都合のいいことはもう言わない。
自分で吊り下がる糸は自分で作る。
なので、仏さまにはどうか蜘蛛の糸の人口レシピを教えていただきたい。
いちおう特許権も貰っておきたい。

今後とも蜘蛛には優しくするゆえ、
どうかご利益の便宜をはかってはくれまいか。

だって、僕はいま文字通りの金縛り(かねしばり)、
もとい貧乏に身をすくめられているのだから。