ラベル うつわ、道具、日用品 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル うつわ、道具、日用品 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年1月24日金曜日

Can I Kick It





革の財布は処分した。

毎夏のカビ(葉山名物)にうんざりしたというのもあるし、いつの間にか染みついた子猫のような匂いにげんなりしたというのもあるにはあるが、ただ単に重いし、厚ぼったくて邪魔になったのというのがいちばんの理由。

やはり財布もシンプルで薄く取り回しの良いものがいい。

それまで旅行用にしていたチープなナイロン製をメインの使用にすげ替えた

当座のつもりだったが存外、これで十分である。


買ってきた時、テープを切り出してこう貼り付けた。




KICK IT

“さぁ行こう”とも、“さぁ始めよう”とも、もしくは“リラックスしよう”、“何もしないでだらだらしよう”とも取れる言葉。

旅も日常も KICK IT がちょうどいい。


そう問いかける時、心はいつでもワイルドサイドに繋がっている。

さぁ、出かけよう。

もしくはもっとだらだらしよう。





2019年12月12日木曜日

レザーのこども靴











40年前に、僕が履いた靴だそうです。

記念に取っておいたのだとか。

不思議とカビなど生えていませんでしたし、
ソールも無事でした。


よちよち歩き出したうちの息子も履いてみました。


革の鞄なんかは親子2代に渡ってって聞いたことがありますが、
親から子へ受け継がれるファーストシューズは聞いたことがありません。

けれどもちょっぴり、興のあるはなしです。



2019年10月16日水曜日

パタゴニアのトート






パタゴニアのブラックホール生地のトートバッグ。

(写真は旧モデル)

軽量で頑丈。防水。
生地に張りがあるので物も収納しやすい。
加水分解も起きにくそうだ。

旅行用のサブバッグとしては少し嵩張るけれど、
毎日の買い物や海でのレジャーなどには凄くいい。

ご覧の通り、10kgを容れても平気なヘビーデューティ。

もともと息子が生まれた時に
お出かけ用として買ったもの。

でもそれって、こういう意味じゃないんだけど

ともあれ息子も気に入っている様子。
ブランコとしても便利らしい。





2019年7月30日火曜日

古いスケートボード







父ちゃん、スケボー買ってくれよ!

バッキャロウ。これで我慢しろ!


そんなやり取りが聴こえてきそうな、
手作り感いっぱいのスケートボード。

カットした杉板に、
ウィールを付けただけ。

70年代を思わせる形状。

気分はもうZボーイズ!

奇しくも静岡のカリフォルニアと呼ばれる街にて入手。

このシェイプから推察するに、制作もやはり70年代?






はてさて子供、

うわ〜い、やった〜!と言ったのか、

こんなんじゃないやい!と嘆いたか


物語りの真相は秘めたまま。

ものはただ静かに鎮座して、
ときたまウィールをくるくる回す。

































2019年6月10日月曜日

李朝:鉄絵人形





厨房の窓からフロアを見守っている。

子供の作った粘土細工のようであるが、
これでいて永いときを見つめてきた、
時代の番人なのであった。

韓国、李氏朝鮮時代の鉄絵人形。
もしくは鉄釉人形とも呼ばれる。






2019年6月4日火曜日

下駄と鉄板






小判型の鉄の板

下駄職人が使っていたものという話だが、
いったいどのような用途で用いるのか、見当もつかない。

「下駄を履くまで分からない」なんて言い回しが世にはあるが、
案外、実際に下駄を履いてみたら
“ナルホドここに使うのか”なんて判然とすることもあるかもしれない。


僕にも使用目的は特になく、
ただ、鉄の泰然とした重厚感を楽しむだけだ。


いくらで購入したかは覚えていないが、
見た目よりも値が張った筈だ。
少しムキになって購入したのを覚えている。


世間には「下駄を履かせる」なんて慣用句もある。
価格などを高く偽ることだ。

「下駄を預ける」という言葉もある。
責任や判断を人に任せることだ。


もしかしたら古道具屋も、
この鉄の板には少し下駄を履かせていたのかも知れないが、
とは言え古物の値段に定価はない。
明らかに騙す意図がない限りは、買い手の納得と自己責任において売買される。

下駄を預けるという訳にはいかぬのである。


下駄を履くと身体のバランス機能が向上するという話であるが、
買い物にも同様ののバランス感覚が大切だろう。
無理やり履かされたり、人に預けたりするものではないのだから。


サンダル履きの季節がやってきた。
下駄を鳴らして散歩に出るのも爽快だろうが、
どうもあのアスファルト路面で鳴るカラコロという音が苦手だ。
(下駄が廃れた理由もそこにあるらしい、舗装路が広がって下駄が廃れたそうな)
まるで目立ちたがり屋になったような気恥ずかしさを覚えてしまう。

こんな僕だもの、
もちろん、気っ風のいい派手な買い物も出来ない質だ。

大きな壺や、アンティークの家具などとんでもない。
こうして小さな古道具を集めてはにやにやしている次第である。

























2019年4月8日月曜日

モグラ革の手帳







基本的に手帳は持たない。

何故なら、暗記できる程度しか用事がないから。


けれども今回、久し振りに手帳を買ったのは、
少しく予定というやつが賑わってきたからだ。


以前から もし手帳を持つなら
モレスキンのものと決めている。

ヘミングウェイが用いただとか、
ゴッホやピカソが使っただとか、
名だたる名士が愛用したとされるモレスキンのノートであるが、

僕の場合は、いつも同社の手帳を携行したという
紀行文学作家のブルース・チャトウィンへの憧憬を表してだ。


ただし、チャトウィンの著作の中では
モレスキンとではなく「モグラ革のノート」と訳されていたと思う。


きっと元々は名の通り、
モグラ(mole)の革(skin)の表装だったのだろう。

作家仲間であるレドモンド・オハンロンの思い出話の中でも
やはりチャトウィンの手荷物は
「黒いオイルクロスで覆った本物のモグラ革のノートブック」とある。


そういえば作品の中でチャトウィンは愛用のモグラ革ノートが
生産中止だと嘆いていた。

もしかしたら現在は何処か他社がライセンスを買い取って
現行の合成皮革表紙のものを生産しているんじゃないかと思うが、

細かいことは気にしない。
肝心なことはチャトウィン気分が味わえるかどうかだ。


彼の遺作となった『ソングライン』には、
それまで彼が手帳に書き溜めてきた旅にまつわる沢山の覚え書きが
散り散りに配置されている。

僕は暇な時、それらをパラパラひもとくのが大好きだ。




手帳を手にしたところで、
どうせ僕の予定など埋まるべくもなく、
結局 空白だらけになるのだろう。

それならばチャトウィンに倣って、
さまざまな引用やこころ覚えを書き記しておくのも良いかもしれない。


店を持ち、子を持ち、
さらにその店が流行らないとなると、
さすがにおいそれと旅をするわけにもいかぬ。

しばらくは旅の空想を書きしたためて、
机上の冒険を楽しむに留めよう。
彼だってノートにこう遺している。




”放浪癖について最も説得力ある分析をした人物の多くは、
なんらかの理由で移動を制限されていた。
胃病と片頭痛持ちであったパスカルしかり、
薬物依存者であったボードレールしかり、
幽閉の憂き目に遭った十字架のヨハネしかり。
フランスの批評家のなかには、コルク張りの部屋にこもって
執筆に没頭したプルーストを、文学界きっての旅人と呼ぶ者もいる”と。














2019年1月11日金曜日

橇(そり)






ロンドンの骨董屋にて


君がこの橇を買うのか? 
持って帰れるのか?

そうだよ。 
これに乗って日本に帰るんだ。


結局、背負ってきた65リッター容量のバックパックに
無理やり収めて帰ってきたのだったかな。
隙間にほかの荷物を敷き詰めて。

もう15年くらい前のこと。
いい思い出だ。

今でもお気に入りの橇である。



そうそう、
橇といえば確かその時、

テートモダン美術館では
ヨゼフ・ボイスの回顧展をやっていたっけ。

橇を使った作品(The Pack)を観れたのは思いがけない幸運だった。








たまには雪山で橇で思いっきり遊びたいものだ。

スキーやスノーボードなど、
自分で制動しなけりゃならないものは怖くて苦手。

でも橇みたいに勢いと流れに身を任せるものだと
急に怖いもの知らずの豪胆に変わるから不思議なものである。





ではカフェをやるうえで重要なのは豪胆さ?
華麗な制動テクニック?
それとも橇のような勢い任せ?

僕にはよく分からない。
けれどもウィンタースポーツなのは確かなようだ。

経営難を冬に例えることもある…

つまりそういうことである。


陽気な春はいつになったら財布に来るのか。
この冬もラッセル&ビバーク気分で忍ぶことになりそうだ。











2019年1月10日木曜日

お食い初めと歯固め水晶






なんでも
生後100日目には「お食い初め」と言って、

鯛を焼き、赤飯を炊いて
祝いの膳を用意するそうな。

とは言え生後100日と云えばまだ歯も生えぬ赤子。
本当に食べるわけではない。
あくまで食事の真似ごとだ。

その際には一緒に
歯固めの石も用意する。

「立派な歯になるように」
「食うに困らぬように」と願ってのことである。

地域や家庭によって呼び名や習わしは変わるであろうが、
この百日祝いの風習そのものは平安時代からあるらしい。


歯固めの石は通常 神社の境内などで拾ってくると言うが、
石がいろいろ邪気を吸着しているというのも有名な話し。

むやみに拾わぬほうが良いと言う。
神社の中とてそれは例外ではないだろう。

 ・ ・ ・



さて先日、長男の賛(たたえ)がお食い初めを迎えた。

やはり路傍の石はすこし怖い。

そこで歯固めに用いたのは世で言うパワーストーン。
天然の鉱石を用意した。




親しくさせて頂いている葉山の Himmel さんにて購入。
http://www.sidhehealing.com/

賛(たたえ)本人も伴って一緒に石を見る。

ダライ・ラマの生まれ変わりを探り当てる如く、
本人にぴったりくる石を握らせればキャッキャ喜ぶかと期待すれど、
やっぱりそんな訳はなく…

結局、いくつか触れさせてみて嫌がらなかったものの中から
親の任意で選ばせてもらった。

そんな次第でうちの子の歯固め石はクォーツ(クリスタル/水晶)と相なった。





クォーツ 
綿とホワイトセージで包んでくれる優しさがありがたい。


これはそのまま、賛(たたえ)のファースト・ストーンとして
彼と時を共にすることになるだろう。



 ・ ・ ・ ・

この砂はみんな水晶だ。
中で小さな火が燃えてゐる。

宮沢賢治 - 『銀河鉄道の夜』より

 ・ ・ ・ ・


まだ生まれて100日とちょっと。
そんな小さな体の中で命の火が燃えている。

彼の銀河鉄道の旅も始まったばかりである。

同乗者として、そして時には機関士として
彼の成長を見守りたい。










またこの場を借りてお食い初めのご馳走を用意してくれた祖母と母、
気長に快く石選びに付き合ってくれた Himmel のS夫妻&N。
それに我が子の誕生を祝ってくれたたくさんの方にお礼を言いたい。



2019年1月2日水曜日

消しゴム判子です





李禹煥?

いいえ、ただの消しゴム判子です。

細工も、彫刻もしていません。

使いかけのかたちそのまんまの

消しゴム判子です。




2018年11月4日日曜日

目止めを施す

くつくつくつ、鍋の中では陶器が揺らいでいる。




した方が良いという。

いやいや、
カビや匂いの原因になる、
しないが良いとの意見もある。

果たして本当の正解は分からぬものの
何はともあれ、手に入れた器はまず最初に目止めを施す。

米の研ぎ汁でゆっくりと
弱火で炊いてあげるのだ。

陶器を頑丈にし、
汚れにくくするのが狙いであるが、

それだけではない。

これはまた
新しい器を迎える際の
歓迎のセレモニーであり、

大切に使うぞという、
宣誓の儀式であったりもするのだ。



“用いるにつれて器の美は日増しに育ってくる。”    

          − 柳宗悦



培われていくその美を景色を貫入を
楽しみながら愛でていきたい。

お客様にも、お、この器もだいぶ育ってきたなぁ…

なんて思っていただけたら、いいなぁ。






2018年8月15日水曜日

皿を笑う






一枚、二枚、三枚、と皿を数えていくのだから、
まるで『番町皿屋敷』のお菊のようだ。

この怪談にはいくつかパターンがあるのだが、
おおむねは お菊という女性が化けて井戸から出るというものである。

そして皿の数を数えては
「一枚 足りない… うらめしや…」と嘆くのだ。

なんでも家宝の皿を割ってしまい、
手打ちにされた可哀想な女中だとか。




さて、お世話になっている うつわ屋さんの計らいで、
何枚か欲しいけれど、まとめては買えない器を、
月に一枚ずつ買い足しさせて貰っている。

必要分を長期で取り置きいただいているのだ。

僕だって恨めしい。
この貧しさが “うらめしや” だ。
ポンとまとめて購入できたらどんなに愉快だろうか。

けれども足りないことを嘆いていても仕方がない。

それよりかは、一枚、二枚、三枚と、
少しずつ増えていく悦びを大切にしよう。

僕は、笑って皿を数えていきたい。

ここはヒマダコーヒーという小さな喫茶店。
もしくは葉山町の皿屋敷である。