小判型の鉄の板
下駄職人が使っていたものという話だが、
いったいどのような用途で用いるのか、見当もつかない。
「下駄を履くまで分からない」なんて言い回しが世にはあるが、
案外、実際に下駄を履いてみたら
“ナルホドここに使うのか”なんて判然とすることもあるかもしれない。
“ナルホドここに使うのか”なんて判然とすることもあるかもしれない。
僕にも使用目的は特になく、
ただ、鉄の泰然とした重厚感を楽しむだけだ。
いくらで購入したかは覚えていないが、
見た目よりも値が張った筈だ。
少しムキになって購入したのを覚えている。
世間には「下駄を履かせる」なんて慣用句もある。
価格などを高く偽ることだ。
「下駄を預ける」という言葉もある。
責任や判断を人に任せることだ。
もしかしたら古道具屋も、
この鉄の板には少し下駄を履かせていたのかも知れないが、
とは言え古物の値段に定価はない。
明らかに騙す意図がない限りは、買い手の納得と自己責任において売買される。
下駄を預ける…という訳にはいかぬのである。
下駄を履くと身体のバランス機能が向上するという話であるが、
買い物にも同様ののバランス感覚が大切だろう。
無理やり履かされたり、人に預けたりするものではないのだから。
サンダル履きの季節がやってきた。
下駄を鳴らして散歩に出るのも爽快だろうが、
どうもあのアスファルト路面で鳴るカラコロという音が苦手だ。
(下駄が廃れた理由もそこにあるらしい、舗装路が広がって下駄が廃れたそうな)
まるで目立ちたがり屋になったような気恥ずかしさを覚えてしまう。
こんな僕だもの、
もちろん、気っ風のいい派手な買い物も出来ない質だ。
大きな壺や、アンティークの家具などとんでもない。
こうして小さな古道具を集めてはにやにやしている次第である。
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