2019年6月16日日曜日

読書の切れはし その①

読書の切れはし①


砂漠には何もない。何もないということがとうぜんのようになってくると、逆に、なぜ日本の生活はあんなにもたくさんのものがあるのか、奇妙に思えてくる。あんなに多くのものに取り巻かれなければ暮らしてゆけないのだろうか、と。もしかしたら、それらのものは、ぜんぶ余計なものではないか。余計なものに取り巻かれて暮らしているから、余計な心配ばかりがふえ、かんじんの生きる意味が見失われてしまうのではないか…。


しかし、待てよ、と私は考える。生きてゆくのに必要なものだけしかないということは、文化がないということではないか。生きてゆくうえに必要なもの、それを上まわる余分のものこそが、じつは文化ではないのか。文化とは、言ってみれば、余計なものの集積なのではないか。だとすれば、砂漠を肯定することは、文化を否定することになりはしまいか…。

それにしても ー と私はさらに考えなおす。私たちはあまりに余分なものを抱えこみすぎているのではなかろうか。余分なものこそ文化にはちがいないが、さりとて、余分なもののすべてが文化であるわけもなかろう。余分なもののなかで、どれが意味があり、何が無価値であるか、それをもういちど考えなおすひつようがありはしまいか…。


森本哲郎 『すばらしき旅  人間・歳月・出会い』より



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