2019年9月11日水曜日

被害状況 その2

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9/11現在。

台風で壊れたシャッターは修復されないままです。
同様の被害で業者さんも大忙しだとか。


暖簾のように垂れ下がり、捲き上げることも出来ない状態で、
たまたま出来た僅かな隙間が、当座の出入り口となっております。

原始人の洞穴生活のようで、
もしくはアナキストの潜伏生活のようで、
出入りの度にちょっとワクワクしてしまうのですが、
でもそれ以上に、お店も営業できずに困っております。

洞穴喫茶、もしくは潜伏喫茶を楽しみたい方は個別にご連絡ください。
壊れたシャッターの隙間の奥には、いつもと変わらぬ空間が広がっております。





2019年9月9日月曜日

被害状況





凄い雨風でした。

皆さまのところでは被害など出ておりませんでしょうか?

ヒマダコーヒーはシャッターが壊れました。

現在、支柱の抜けたシャッターが垂れ下がったままの状態で、
出入りもろくに出来ません。

本日も皆さまをお迎えしたいのですが、
いかんせん、まずは状態を復帰させないと…

台風の被害で業者さん職人さん各位だいぶ混乱をしているようです。

何はともあれ追ってご報告いたします。

続報をお待ち下さい。




2019年9月6日金曜日

自然と低徊、もしくは余裕




夏目漱石に憧れる。

ひと昔前、漱石にかぶれた折にはいちいち
「これは僕のために書かれたんじゃないか?」
と膝を打ちながら読んだものだ。

さて、一部では漱石のことを余裕派と呼ぶ。

当時の自然主義の流行もあるのだろう。

赤裸々な私小説を美徳とする自然主義の作家たちからしたら、
漱石の鷹揚とした姿勢が少し妬ましく、
またよっぽど余裕こいているように見えたのかもしれない。

漱石自身は自分の主義を低徊趣味と呼んでいる。

経済はともかく、実際に漱石に精神的な余裕があったかと言えば
そんなことはない筈だ。

何故なら少なくとも彼は、
神経を弱らせたり、
大量の吐血をするほど胃潰瘍に苦しんだりしているのだから。

「余裕」はあくまで作風であろう。



さて、
自分を漱石になぞらえるつもりはないが、
僕もたまに人さまから余裕があるように見られる。
たしかに低徊趣味めいた部分はあるだろう。

けれども実際のところは全くもって余裕がない。
窮迫もよいところである。


では、何がどれだけ苦しいか。

赤裸々な告白は自然主義の方に譲るとして、
僕はこのまま火にまみれながら
ポーズだけでも余裕派を演じていよう。
















2019年9月5日木曜日

読書の切れはし その②




 人間は誰でも毎日親しくしている友だちの影響をうけて、知らず知らずのうちに良くも悪くも変わるものです。それで昔から「朱に交われば赤くなる」といって、良い友だちを選べ、という格言が世界中にありますが、同じように、毎日いっしょにいるもの言わぬ友だちも、人に強く影響を与えますから、私どもは用心せねばなりません。

 もの言わぬ友だちというのは、毎日私たちといっしょにいる道具類のことです。人間は誰でもみな丸裸で生まれて来ますけれども、必ず多くの道具を使い、それにたより守られて、長い一生を暮らしています。その道具が良いか悪いか、美しいか汚いかで人間の心がけが変わるのです。たとえば、運動服を着けると勇む心が起こり、寝間着を着るとゆるんだ心になります。見せかけの、形も色も悪い道具類を毎日使っていると、心まで粗末になってしまいます。ですから形も色も良く、たよりになる健康な美しい道具を選びたいものです。



外村 吉之介 『少年民芸館』より



2019年9月4日水曜日

気がかりが少し融けること。珈琲の味のこと。







ふとした気まぐれだったのだろう。

懐かしいシャツに袖を通し、
懐かしい曲をかけてたら、
なんと懐かしい友が現れた。

思えばシャツも、曲もそのころ気に入っていたものだ。

まるで召喚魔法みたい。

不意に、昔が戻った気分。



手が空いたので少しお喋りをし、一緒に珈琲を飲む。

それもまた懐かしい。


気持ちが安らいでいる時は珈琲を美味しく感じられる。
これは本当だ。

自律神経の働きによるものだろう。

逆に疲れていたり寝不足だったり、ストレスフルな時は不味くなる。


その一杯は、久しぶりに心から美味しいと思えるものだった。

手前味噌なのが恐縮であるが

(もちろん旨い豆があってこそ)


案外、珈琲の味を通して本当の自分に気付くことがある。

きっと僕はその時、とっても嬉しかったんだろうな




この10年の気がかりが、少し融解。

失って諦めていた、大切なものの片鱗を少し取り戻す。








サンキュー!みいたろ。

サンキュー!本・中川

またみんなで一緒にピクニックしよう。

酸味のきいた林檎も、
おみやげ絵本も最高だよ!






2019年9月3日火曜日

粋と耳の穴

みやげで貰った木彫の耳かき
ウッフン♪


そうして、かような媚態が
「いき」の基調たる「色っぽさ」を規定している。

九鬼周造『「いき」の構造』より







歳をとると鼻の穴が大きくなるそうだ。
周りの筋肉が衰えることが原因と聞く。

近ごろ、シャワーを浴びると 
やたら耳の中に水が入るようになった。
風呂上がりには綿棒が必須である。

まさか、加齢で耳の穴まで拡がるのだろうか。

それで人の話しや意見がきちんと聞けるようになれば良いのだが、
実際は歳とともにより頑固に、より意気地になる一方だ。


耳の穴かっぽじって聞きやがれ…と啖呵を切るのは江戸っ子の粋である。

大正/昭和の哲学者 九鬼周造によると粋(いき)とは
意気地と媚態と諦めの織り合わさった心的態度であるという。

歳とともに意気地になって、
それでも人の話を聞こうと媚態をつくり、
てやんでえ、やっぱり駄目だと諦める。

そんなので粋になれたら結構なのだが…

いくら綿棒で耳の穴かっぽじったって、
粋にもなれぬし、人の話もやっぱり聞けない。
野暮にばかりなってゆく。


耳の穴が拡がることなどない気がするが…

コンチクショウめ。
今宵も耳にこもった水がしゃらくさい。
















2019年9月1日日曜日

マニトバとくびなが竜 ー あるいは僕のセンスがよくないことについて





Rとは仲の良い友人だった。

友人だった…と過去形で表すのは、
ここ何年も 連絡を取り合っていないからで、
気持ちの上ではもちろんまだ友人だ。
彼は今 他県に暮らしている。

二人とも音楽好きということあり、
彼の提案でDJユニットを組もうという話になった。

相手のかけた曲の尻を継いで、
交互に選曲し合っていくという趣向だ。

ちょっとしたイベント会場などが
活躍の場になるだろう。

あまり人の集まる場所が得意でなく、
人前に出るのも苦手な僕だけど、
友達と一緒だったら勇気も湧くというもの。

いいね いいねと話はトントン拍子に拡がり、
早速ユニット名を決める段だ。

せぇので、お互い候補を挙げる。

僕が提案したのは "くびなが竜"
特に意味はない。ただその場での思いつきだ。
センスがないと叱られる。

彼が挙げた名前は "マニトバ"
何でも夢に龍が出て来て 
「 マ・ニ・ト・バ 」と彼に告げたことに由来するそうだ。

マニトバとはカナダの地名であるが、
それは初耳だったらしい。

また当時マニトバという名義のミュージシャンが
活動していたのだが、それも知らなかったらしく、

彼にとっての“マニトバ”とは固有名詞でなく、
託宣による祝詞やマントラのようなものであったようだ。

名前の一部に"龍"の字を持つ彼のこと。
きっと龍とは何かしらの宿縁があるのだろう。

ちなみに彼の構想によると、
我々のほうの“マニトバ”は二人してキツネの能面をつけて
パフォーマンスを行う予定だそうで、
恥ずかしがり屋な僕にとってそれは奇矯が過ぎた。

結局、音楽性の違い以前に
ネーミングや演出センスの相違により、
我々のDJユニットは結成以前に暗礁に乗り上げた。

その晩、調べものが趣味の僕は改めてマニトバについて調査をしてみる。

なになに、
マニトバ州のマニトバ湖にはネッシーのような怪獣がいるらしく、
有名な未確認生物オゴポゴにあやかって、マニポゴと呼ばれている!?

これだ!!
まさか、“マニトバ”と“くびなが竜”がここで繋がるとは。



興奮のまま早速 彼に電話をかける。

Trrrr

「おい、R! 僕たちのユニット名は“マニポゴ”だ!」


「やだよ。ださいもん。やっぱ、 お前、ネーミングセンスないのな。」


……


はい。今もネーミングセンスないままです。
ヒマダコーヒーって、素っ頓狂な名前のカフェやってます。




ここでひとつ謎かけを。

ヒマダコーヒーと掛けまして、くびなが竜と解きます。

そのこころは、
皆さまのお越しを、首を長くしてお待ちしております。

えへへ、どうやらギャグセンスもない模様。









追記:

この記事を書き上げてすぐ、Rとバッタリまさかの再会を果たした。
再会を寿ぎつつも、何年ものブランクを感じずお喋りできるのは、
冒頭でも伝えたように、僕らが友人だからだ。

奇縁とは面白いものである。