努力とは輝かしく、それだけで応援したくなるものです。
こんなにも努力が素晴らしいのは、
それは、努力が人間だけに与えられた資質であり、
努力がなければ今日の文明もなかったからかもしれません。
人類の不断の努力が、我々の叡智と能力を常に向上させているとも言えるでしょう。
さて、かく言う僕はというと面目ないことにこれまで何かに打ち込んだことも特になく、
努力を惜しみ、頑張ることを嫌がる無気力で捻くれた若者でした。
そんな僕がこれまで努力したことを敢えてひとつ挙げるとしたら、
それは恥ずかしながらも「下ネタ」を言うことです。
思春期を迎え、友だち同士のコミュニケーションに下ネタが不可欠になってさえ
僕はどうしてもセクシャルな話をするのが苦手でした。
どうしてみんな臆面もなく性的な会話が出来るのだろう?
あまつさえ明け透けに自分の性的嗜好まで明かすだなんて…
羞恥心はないのだろうか?
なんて、なんて、羨ましいんだ!
僕が覚えた感情は軽蔑でなく羨望でした。
なんの鬱屈もなしに己が劣情を晒せる級友たちがとにかく晴れやかに見えて羨ましく、
人知れず僕は、少しずつ会話に加わり出来るだけ発言もする努力を始めたのです。
忘れもしません。高校三年生の時です。
受験勉強もしないで僕はスケべな会話に勤しみました。
とは言え元来その手の話が苦手な身、
恥ずかしくって級友たちのような直截な表現は出来ません。
そこで僕が取った手段は暗喩を用いて歪曲的に仄めかすという言い方でした。
考えてみて下さい。
直球一辺倒の少年野球界に、変化球投手が現れたとします。
大活躍間違いなしでしょう?
同じようにして僕の下ネタも仲間うちに喝采をもって受け入れられたのでした。
努力が培うのは技能だけではありません。
頑張った分だけ自信も一緒に育ちます。
好評に気を良くした僕はその後も粛々と発言を続け、
自信をつけながら猥談に慣れ親しんでいくのでした。
今にして思えば実に思春期らしい1コマです。
下ネタを言いたかったというよりは、きっと自分の殻を破りたかったのでしょう。
しかし反動というのは怖ろしいものです。
それまで堰き止められていた分、一度憶えると止まらなくなってしまうのですから。
カタルシス…というやつでしょうか。
カタルシス…というやつでしょうか。
いちいち頰を染めていた紅顔の少年も現在では下世話な無精ひげのオジさんになりました。
もし、その手の話を愉しみたいなら、営業終了後ヒマダコーヒーにお越しください。
日中は見せない店主の顔を披露します。
とはいえ、直截的なもの言いはやっぱり苦手です。
暗喩表現に磨きがかかったばかりか、記号や象徴をも伴ない
もはや何を言っているのか分からないとの評判ですので悪しからず。
まず第一に、エロティシズムは、人間の性欲が禁止によって制限されており、そしてエロティシズムの領域が、この禁止に対する違犯の領域であるという意味で、動物の性欲とは異なるものであります。エロティシズムの欲望は、禁止に打ち勝つ欲望なのです。それは人間を人間自身に対立させます。
ジョルジュ・バタイユ
努力というのは素晴らしいものですが、
やはりその向けどころはきちんと吟味したほうが良さそうです。
もし違うところに向けていたなら今ごろ…
いえ、お陰で仲間とゲラゲラ出来ました。
これも努力が生んだ大切な財産です。
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