紙をくくる。紐をくくる。薪をくくる。
くくるとはバラけそうな何かを束ねて纏めることだ。
心は複雑。
気持ちや感情は猫の目のよう、
てんでばらばら、いつも矛盾、
気持ちや感情は猫の目のよう、
てんでばらばら、いつも矛盾、
この支離滅裂な精神がひとつ所に
ぐっと纏められているからこそ、心が、くくる であるのだろう。
琉球ことばで心を表す “くくる” が
語源の姿をそのまま残しているようだ。
"ただおのが住む世を、かく観じ得て、
霊台方寸のカメラに澆季混濁の俗界を清くうららかに収めうれば足る。"
夏目漱石『草枕』
漱石は心を“霊台方寸”と呼んだ。
霊台(心の置き所)は方寸、
つまり心は約3センチ四方の狭い箱に仕舞われているということだ。
くくられたり、閉じ込められたり
心もなかなか不遇である。
束ねられたこの心を解いて
風に撒き散らしたら さぞかし気持ちが良いだろう。
方寸の箱を開いて心を空へと放ってみたい。
とはいえ纏められ、仕舞われているからこそ、
心は心であり得ているのだ。
空に散ったら、それは散漫というやつであり、
また放心というやつである。
空に散ったら、それは散漫というやつであり、
また放心というやつである。
それならばこの集束を幽囚と捉えるのではなく、
贈り物として捉えてみたらどうだろう。
ロマンチックなプレゼントはいつだって、
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