久しぶりに取り出した本に挟まっていたステッカー。
プラスティック・オノ・バンドの曲名だ。
覚えていないがきっと栞にしていたのだろう。
スクール(学校)の語源となった古代ギリシア語のスコレーとは
本来、暇(ヒマ)のことである。
たしかに、時間的な余裕がなければ勉学も出来ないし本も読めない。
欠伸したり頬杖ついたりするだけが暇(ヒマ)でない。
暇(ヒマ)とは修養の時でもあるのだ。
いま僕たちが本を読んでいられるのは豊かさと、そして平和の賜物だ。
GIVE PEACE A CHANCE
平和を我等に
ページのうえにだって平和は見つけられる。
シュプレヒコールを叫ぶばかりが平和じゃない。
ため息ついて、コーヒー飲んで、本を眺める平和活動があっても良いじゃないか。
奇しくもアリストテレスが言っている。
“我々は閑暇を持つために働くのだ”と。
労働も、そして教養も暇(ヒマ)を中心にして回っている。
文化は、暇(ヒマ)から生まれるのだ。
あなたも、暇(ヒマ)を感じながら平和な午後を過ごして欲しい。
それも出来たらヒマダコーヒーで。
“判りきったことだが、コーヒーは輸入せねばならない。
戦争になったら、コーヒーはお仕舞いである。
大きな声では言えないが、私が平和運動に熱心なのは、
一部分、コーヒーが飲めなくなることへの恐怖から来ているのかも知れない。”
清水幾太郎
あはは、こんな平和活動もある。
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