2019年11月20日水曜日

平和と暇と










久しぶりに取り出した本に挟まっていたステッカー。


プラスティック・オノ・バンドの曲名だ。

覚えていないがきっと栞にしていたのだろう。



スクール(学校)の語源となった古代ギリシア語のスコレーとは
本来、暇(ヒマ)のことである。

たしかに、時間的な余裕がなければ勉学も出来ないし本も読めない。

欠伸したり頬杖ついたりするだけが暇(ヒマ)でない。
暇(ヒマ)とは修養の時でもあるのだ。

いま僕たちが本を読んでいられるのは豊かさと、そして平和の賜物だ。

GIVE PEACE  A CHANCE

平和を我等に

ページのうえにだって平和は見つけられる。
シュプレヒコールを叫ぶばかりが平和じゃない。

ため息ついて、コーヒー飲んで、本を眺める平和活動があっても良いじゃないか。


奇しくもアリストテレスが言っている。

“我々は閑暇を持つために働くのだ”と。


労働も、そして教養も暇(ヒマ)を中心にして回っている。
文化は、暇(ヒマ)から生まれるのだ。


あなたも、暇(ヒマ)を感じながら平和な午後を過ごして欲しい。
それも出来たらヒマダコーヒーで。




“判りきったことだが、コーヒーは輸入せねばならない。
戦争になったら、コーヒーはお仕舞いである。
大きな声では言えないが、私が平和運動に熱心なのは、
一部分、コーヒーが飲めなくなることへの恐怖から来ているのかも知れない。”

清水幾太郎 


あはは、こんな平和活動もある。
















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