2018年8月11日土曜日

誕生日の子どもたち





本日8月11日 (山の日) は友人Mちゃんの誕生日である。

人のバースデイを憶える質でもない僕だけど、
なぜそれを知っているかと云えば、僕の誕生日が8月9日だからなのだ。

8月の9日、10日、11日と、
あいだにスヌーピーを挟んでバースデイが続いていると僕たちはお互いに記憶している。

スヌーピーは8月10日生まれなのである。




さて、1日違いと云えばこんなエピソードがある。

中学 高校の同級生にNという男がいた。
いつも一緒という程の仲でもなかったが、
毎年誕生日には家に電話をかけてきてくれるいい奴だった。

(当時まだ携帯電話は普及していない)

ただし、どういうわけか例年「誕生日おめでとう!」と電話が来るのが
7月8日なのだ。

気持ちはありがたいが、けれどもいつも ひと月と1日ずれている。

はじめはよく分からなかったが、何年か続いて気付いたことは、
8、9という数字の順列を彼は7、8と間違えて憶えているようなのだ。

それが毎年続くのである。愉快な男だ。

7月8日ではなくて、8月9日だよ。
君はいつも ひと月と1日ずれているよ。

よくよく説明した翌年、
彼が電話をくれたのはなんと、6月7日のことだった。

愉快な男である。



僕らの日常はちょっとした勘違いの累積で成り立っている。
日取りや曜日の間違いなどよくある事だ。

あまり迷惑はかけたくないし、被りたくもないが、
とはいえ日時が完璧に管理された世の中も窮屈なものだ。

かく言う僕も、Mちゃん夫妻の結婚パーティの日を1日間違えて
すっぽかしてしまったのはかれこれ何年前のことだったか…

土下座をしたのはあれが最後だったと記憶している。



さて、先日で齢40になった。

世間では40歳を 不惑 と呼ぶ。
「四十にして惑わず」という孔子の言葉に倣ってだ。

とは云え不惑を迎えた僕に至っては、
一向に惑わぬということもなく、
あいも変わらずうろうろ惑い続ける日々である。

この性分はきっと生涯変わらないだろう。
日時へのルーズさもきっといつまでも直らぬことだろう。


そういえば自分の結婚式の日にちすら間違えたのは、
大人になった野比のび太だったか。

ちなみに彼の誕生日は8月7日である。




追記

今夜は結局、Mちゃん家族と海で過ごした。
もちろんお互いにハッピーバースデイを言い合って。

また今日は行く先々で本当に多くの人と出くわした。
愉快な夏の日だ。



  …  …  …


そこではすべてのものがダンスをしております。
たとえば人々が通りでダンスをしていて、
何もかもが美しくて、
たとえば誕生日の子どもたちのようなところです。


トルーマン・カポーティ 『誕生日の子どもたち』より




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