2017年11月6日月曜日

八ヶ岳 - 恵施(けいし)とKC(ケーシー)



天は地と与(とも)に卑(なら)び
山は沢と与(とも)に平らかなり

古代 中国の思想家 
恵施(けいし)の言葉だそうです。

神とか宇宙とか、
そういう尺度で見れば、天と地に違いはなく、
山と沢の高低差だって、ぺっちゃんこに等しいのだと、
そういうことでしょうか。

11/1~2の定休日。

急きょ思い立ち、
1泊2日で山登りに行ってまいりました。

深まる八ヶ岳。

キャンプ泊での登山は実に2年ぶりになります。

久しぶりの山麓に心が弾むも、
体はそうはいきません。

ザックの重さだけでなく、
日頃の運動不足やら歳やらもが背中に覆いかぶさってくるのです。

登り道でゼイゼイ喘ぎながら、
ふと、恵施の言葉を思い出しました。

天は地とともにならび、
山は沢とともに平らかなりね。

どこが?

少なくとも僕にとって天は高く、
山は屹立としてそびえ立ち、
とてもじゃないが平らかではありません。





皆は僕のことをKC(ケーシー)と呼びます。
本名の啓介が転じたあだ名なのですが、
無論、恵施(けいし)とは縁もなければゆかりもありません。

八ヶ岳の標高は3000m足らず
無窮の空に比すれば低い低い。

そこでこんなにも息を切らしているのですから
似ているのは名前くらいのものです。





諸子百家の思想家、恵施(けいし)。
なんでも彼は立派な人物で、魏の国の大臣も勤めたそうです。

彼のような境地に到れば、
山と沢は平たくなって、
登山ももっと楽になるのかもしれません。

けれども、僕にとって山は山。
厳しく、急峻で、そしてなにより愉快なものです。

今はまだ、
この喘ぎを楽しんでいたい、
息切れしつつ、そうも思うのでした。

山が山であることが
こんなにも素晴らしく感じられるのですから。

偉い思想家にはなれそうもありません。
山と沢とが平らになって、
天と地とが均しくなったら面白くありませんもの。
凡俗に生きてまいりましょう。

骨休めに行ったのか
疲れに行ったのか分からぬ休みではありましたが、
久しぶりの山登り。

自分が好きなことが再確認できた
楽しく有意義な山行でありました。

悟りや真理には至りませんが、
大切なことにならチョっと、気付くことが出来たようです。




テントやら寝袋やらを詰め込んで

山の秋は深い。
道はところどころ凍結し、つららが実る。
日が傾けば気温は氷点下に。



切り立つ峰もよいけれど、
やはり苔と樺の林はこころが和む。


天と地、山と沢
だからいいんじゃない。












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