山は沢と与(とも)に平らかなり
古代 中国の思想家
恵施(けいし)の言葉だそうです。
神とか宇宙とか、
そういう尺度で見れば、天と地に違いはなく、
山と沢の高低差だって、ぺっちゃんこに等しいのだと、
そういうことでしょうか。
11/1~2の定休日。
急きょ思い立ち、
1泊2日で山登りに行ってまいりました。
秋 深まる八ヶ岳。
キャンプ泊での登山は実に2年ぶりになります。
キャンプ泊での登山は実に2年ぶりになります。
久しぶりの山麓に心が弾むも、
体はそうはいきません。
ザックの重さだけでなく、
日頃の運動不足やら歳やらもが背中に覆いかぶさってくるのです。
登り道でゼイゼイ喘ぎながら、
ふと、恵施の言葉を思い出しました。
天は地とともにならび、
山は沢とともに平らかなり…ね。
どこが?
少なくとも僕にとって天は高く、
山は屹立としてそびえ立ち、
本名の啓介が転じたあだ名なのですが、
無論、恵施(けいし)とは縁もなければゆかりもありません。
八ヶ岳の標高は3000m足らず
無窮の空に比すれば低い低い。
無窮の空に比すれば低い低い。
そこでこんなにも息を切らしているのですから…
諸子百家の思想家、恵施(けいし)。
なんでも彼は立派な人物で、魏の国の大臣も勤めたそうです。
彼のような境地に到れば、
山と沢は平たくなって、
登山ももっと楽になるのかもしれません。
けれども、僕にとって山は山。
厳しく、急峻で、そしてなにより愉快なものです。
今はまだ、
この喘ぎを楽しんでいたい、
息切れしつつ、そうも思うのでした。
山が山であることが
こんなにも素晴らしく感じられるのですから。
偉い思想家にはなれそうもありません。
山と沢とが平らになって、
天と地とが均しくなったら面白くありませんもの。
凡俗に生きてまいりましょう。
骨休めに行ったのか
疲れに行ったのか分からぬ休みではありましたが、
久しぶりの山登り。
自分が好きなことが再確認できた
楽しく有意義な山行でありました。
悟りや真理には至りませんが、
大切なことにならチョっと、気付くことが出来たようです。
テントやら寝袋やらを詰め込んで |
山の秋は深い。 道はところどころ凍結し、つららが実る。 日が傾けば気温は氷点下に。 |
切り立つ峰もよいけれど、 やはり苔と樺の林はこころが和む。 |
天と地、山と沢 だからいいんじゃない。 |
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