“四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりしゆききする
おれはひとりの修羅なのだ”
宮沢賢治 『春と修羅』より
賢治が苦しみ、持て余した、
己のなかの修羅という意識。
それはもしかしたら、
誰もが持ち合わせている ちょっとした怒りっぽさや、
もしくは意地の悪さだったのかもしれない。
“いかりの苦さ また青さ”
『春と修羅』より
清廉に生きようとすればするほどに、
さもしさは顕れて、 苦しさは増すばかり。
そういった懊悩は、賢治に限らず、
誰もが隠し持つ、共通の生きにくさとも言えるだろう。
“すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから”
『春と修羅 序』より
こころのうちに
修羅をうずかせながら
それでも季節は巡りくる。
”たのしい太陽系の春だ
みんな はしったり うたったり
はねあがったり するがいい ゛
『小岩井農場 』より
四月。
楽しい太陽系の春だ。
走ったり歌ったり、
跳ね上がったりするがいい。
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